2016年01月07日

〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その10

座談会
ひたすら学んだ! 実践した! そして、つかんだ新しい人生!
〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その10


♪人は変われる!

鎌田 みなさん、セミナーの学びを実践に結びつけていらっしゃるのは素晴らしいですね。
竹内  私は73歳になりますが、この歳で妻とハグできるようになったんですよ。最初は、ことあらたまってハグしようとすると「何すんのよ、気持ち悪い」って(笑)。代表にハグしなければいけないと言われたって言うと、「また自分勝手な」って言われて。
野中 みんな自分勝手ですね(笑)。
竹内 それで、自分勝手な生き方をしてきた男ですまなかった。ガンになって協力してもらってすごく感謝している。口だけじゃなくてやっぱり態度で示すようにと代表に言われた。だから、これからは、最低一日一回はハグしますからよろしくね、って。
小林 わあ、すてきですね。
竹内 ま、苦労しましたが、自然にできるようになったのは、大きな成果だと思います。
鎌田 ガンを治した先の人生をどれだけ豊かにしていくかってことでは、当然奥さんとどれだけいい関係かが大きな課題ですよね。
竹内 別にけんかしているわけではないけど、どうしても酒でも飲まないと必要最低限の会話しかしなくなっていました。ガンになって私も変わったし、彼女も変わっっていった。今では酒を一滴も飲まなくても会話がはずみます。
鎌田 たかがハグされどハグ。大きな実践ですね。
竹内 この歳になっても出来るってこと。人間って変われるってことですよ。
野中 生き方を変えるって言われても、変えるってことを否定的にとらえる人が多いかもしれない。でも、人生ってどういうふうに自分が生きようとしているか、その模索ですよね。よりよい人生を求めて自分を磨きたいとか、高いものを目指すとか、そういう生き方が問われているのかもしれない。
鎌田 たいていの人は自分自身に偏見を持っていますからね、自分はこういう人間なんだと。それを変えるというのはなかなか難しいことです。
加藤 手当て実習会でも、ご夫婦で参加して奥さんが必死なのに当の本人はのほほんとしてる方が多いです。
鎌田 セミナーでも一定の割合でいますね。でも、私は歯痒いだろうけど、本人がやり出すまで奥さんは手を出すなって言うんですよ。たいていうまくいかないで、奥さんをうらむことになる。奥さんはご主人のために頑張ってきたのに、お前が悪いって言われて悩むことになりがちです。
野中 僕なんか、ラッキーなことに妻がそういうことをやる人じゃなかったから、僕が必死に料理を作り始めたんです。
加藤 野中さんのガンが分かったとき、奥さんはどうでしたか。
野中 僕は落ち込んだけど、ありがたいことに冷静だった。
小林 自分はこんなにやっているのに、なぜ手伝ってくれないんだとイライラしなかったですか。
野中 実はガンになる2年前に離婚をつきつけられていたんです。けど僕は別れたくなかった。ある人から捨てられないためには自分を素敵にするしかないと言われて努力していたけど、日の目を見ることなく、彼女は振り向いてくれず、ついにガンになり…。そのときは「私がガンを作ったのかもしれない」と思って、優しくなったんですよ、一瞬ね。でも冷静だったのは助かった。そうでなかったら、依存していたと思う。
僕は彼女にも他の人にも依存していたから、それが彼女の負担だったんで、それがよかった。
近藤 幸せはガンがくれた、ですね。
野中 彼女が依存させなかったから、僕は自立するしかなかった。そしたら、協力してくれはじめて…。
小林 うれしいですよね。
竹内 うちは似通っているけどちょっと違うかな。私はガンになって呆然自失。自分の自信が一気に崩れたんです。家内は「あんたは死なない、私がなんとかする」ってんで、退院後3カ月間、寝たきりに近くなった私の面倒を見てくれた。だけど、彼女は考えたんですね。このままじゃこの人だめになると。で、私をうまくおだてて、少しは歩いたら、食べたいものを自分で作ったらとか、上手に私を猿回しの猿のように調教しましたね(笑)。野中さんと真逆のパターンだけど、自立しましたね。そしたら、私は私なりに、彼女は自由な時間をとれてお茶の先生もできるし、シニア卓球の試合にも出てます。私はだめになる一歩手前でガンによって救われたんですよ。
野中 配偶者の方が前に出ると、難しいですよね。本人がやらないとね。うちは僕が先陣を切って食事も変え、生活習慣も変えていったから、彼女は元気になってきて、すごい恩恵を受けているんです。
加藤 じゃ、離婚の話はご破算になったんですか。
野中 なんかね、今は言わなくなって…。離婚はどうなったか分からない。でも分からないからいいんだと思うんです。彼女に捨てられないために僕はずっと自分を磨き続けなければならないから。この危うさ、緊張感が僕を真剣にさせるんです。
鎌田 いいですね、ずっと磨き続ける。ウェラー・ザン・ウェルですよね。
 (2015年6月、横浜市内にて収録)
『いのちの田圃(たんぼ)』175号、177号より


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2015年11月23日

〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その9

座談会
ひたすら学んだ! 実践した! そして、つかんだ新しい人生!
〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その9


♪地道な努力が思考を変える

鎌田 近藤さんは、どちらかというと、実践を積み上げてきて総決算という感じでセミナーを受講されていますね。
近藤 入門セミナーと免疫セミナーに参加するまでは、何かことがあると、自分の中で悶々として、頭の中で終わらせてというのが一つのパターンになっていたんです。それが変わりましたね。セミナーでは、たとえば、席に座るにしても、自分はうしろに座ってお客さんのような雰囲気でいたら、前に座れって言われて、行動を変えさせられる。それにとにかくいろいろ書かされますよね。
鎌田 そうですね。
近藤 しゃべること、書くこと、表現することをやらされる。代表に、もっと自分を出せって言われたのは、今まで頭の中で終わっていたのを書いたりしゃべったりする行動に移せということなんだと気づきました。それで、感じたり思ったりしたことを書き留めるようにしていたんです。ノートがなければ携帯のメモに残すとか…。
鎌田 今も考えたことを書き留めているのですか。
近藤 そうですね。今回の座談会もそうですが、みんなと話す機会にどんどん出なきゃだめだと思っています。支部の例会でも同じですね、表現する機会をできるだけ作ることですね。なかなか腰が重く、おっくう、臆病、依存型というのが出てくるんですけど…(笑)。
鎌田 セミナーでの学びを大事にしていただいているんですね。
近藤 やっぱり、コツコツ続けないと、潜在意識っていうのはなかなか変えられないと思うんです。
鎌田 思考も習慣ですからね。地道な努力で習慣づけていくと変わっていくもの。それは大事なことですね。
野中 私を変えた一番の実践は、千百人集会で賞をもらった『満足訓練日記』。あれは、大ヒット作品でした。
私は何をやっても、人から評価されても満足できなかった。たいへんな病気です。僕はこれでずっと辛かったし、まわりの人はもっと辛かった。だめだだめだ、もっともっとと常に何かを目指してやろうとする…。
 セミナーを受けて勉強していくうちに、ここが根っこの問題だって思ったんですよ。それで一生懸命考えて、妻と話し合い、毎日1個、その日楽しかったこと、よかったことを書くことにした。今でも覚えているけど、「じゃ、いっぱい書いていいんだよね」と言ったら、妻は賢くて、「一個だけ」。
全員 (笑)。
野中 あれは素晴らしい。一個だけなら簡単ですよね。たくさん書いていたら疲れてすぐにやめていたと思う。そうして一年続けていたら僕は本当に変わったんです。
加藤 一年で変わったのですか。
野中 楽しい夢をいっぱい見るようになり、朝起きたときも爽快になってきた。考えたら当たり前ですよね。だって、夜寝る前に楽しかったことを書いて寝るわけだから、楽しいイメージで寝てるんでしょう。
加藤 なるほどね。
野中 僕はずっと、自分が肯定できなくて苦しんでいた。何をやってもダメダメ、まだまだ、もっとやれって常にバックミュージックみたいに流れていたんです。けれど夢がいっぱい出て来くるようになって、潜在意識が動いたんですね。ある日、ぱっと霧が晴れた。ずっと待ち望んでいたんですが自分を肯定することできたんです。
小林 すごーい!
野中 肯定できてしまうと、アホみたいな、こんなものかって感じ(笑)。そのときから、なにかをしている「そのとき」が楽しくなったんです。それまでは人といても、家族と食事をしても、魂がそこにあらずで楽しめず重かった。僕以上に妻が重かったんですけど、すかーっとして(笑)。
小林 すごく変わったんですね。
野中 潜在意識ってこういうことの積み重ねで、変わるんですね。
鎌田 その作業だけみたら、小さいことですけど、その積み重ねが大きな結果につながっていく。素晴らしい実践です。
加藤 私はずっと自分は正しくて、気に入らないことはイヤ。いつもイライラして眉間にシワを寄せていたんじゃないかな。子供の頃からいい子でいなくちゃいけないってことがあったので、それが足かせになってちょっとしたことも許せなかった。カレンダーの言葉に「正しさよりも幸せが大切」というのがありますね。それを読んでハッと気づいて、毎日カレンダーの言葉通り生きようと決めたんです。そしたら、今なんかルンルンでおかしなこと見ても、あっバカやってるやってふうに流せるし、信号が青だけですっごく幸せ。
野中 確かに心のクセを矯正するのってたいへん。ガンにならないと気づかなかったですね。
 (2015年6月、横浜市内にて収録)
『いのちの田圃(たんぼ)』175号、177号より


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2015年11月22日

〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その8

座談会
ひたすら学んだ! 実践した! そして、つかんだ新しい人生!
〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その8


♪来たバスに乗りまくり!

鎌田 小林さんは、徹底実践会員の特典をフル活用していますね。
小林 ほんとにフルです。実践例会の書き込み、私が第一号なんですよ。
鎌田 ああ、そうでしたか!
小林 再手術を断ってまず取り組んだのはマインドマップ。3日以内にやること、一カ月以内にやることを毎日書き、それをクリアしていくために90日ノートを書いていきました。コツコツ実践していたら、ご褒美として〈あさひさん〉に認定されました。それで私、すごく有頂天になって、インターネットの治るサロンのグッド&ニューに一カ月間、毎日投稿しようって決めたんです。〈あさひさん〉になったんだから、責任感みたいなものを感じて発信しなきゃって思ったんですね。
鎌田 そして、毎日投稿を続けたわけですよね。あとに続いている投稿している人が何人もいますね。
小林 そうですよね。私は毎日ネタ探しがたいへんで一カ月が精一杯でした。けど、ネタを探すには自分に向き合わなくちゃいけない。じっくりその時間がとれて、考えるクセが一カ月の間に身につきました。それが、次の実践に結びついていったので、とても役立ったと思います。ほんとにちっちゃいことから自分と向き合って一つ一つこなして…。次は何をしようと思っているうちに、さっきお話した実践例会が始まって、さっそく投稿。でも毎月成果を見つけなきゃいけないのは本当にたいへんでした。
鎌田 実践例会というのは、インターネット上の「治るサロン」の投稿サイト。入門合宿セミナーと、心の免疫セミナーを受講した徹底実践会員さんだけが投稿できます。毎月の気づきと成果を書き込み、それを川竹代表が丁寧にときには手厳しくアドバイスしてくれる。それを〈治ったさん〉バッヂをもらうまでやったんですね。
近藤 投稿し続けたというのは、すごい自己開示ですね。すごいなあ。
小林 やらなきゃっと自分で決めてやり続けました。厳しいけど、本当によかった。
鎌田 そして、昨年の、学会シンポジウムの「綴り方」発表にまでつながっていきましたね。
小林 2年連続でのシンポジウムの研究発表は、自分のレベル以上のことをしなければいけなかったので、たいへんでした。けどあきらめずにやってよかった。躊躇しているとすっと行っちゃうんで、来たバスに走って飛び乗って…。必死に挑戦してきてこんなに早く結果が出せてほんとによかった。
 でも、思わぬ失敗というか、すごい恥ずかしいこともあったんです。私、手当てでは、全身生姜罨法とビワ葉温灸を、365日、毎日欠かさずやり続けたんですよ。
鎌田 なかなか続けられないことですね。自然(自助)退縮を果すまで続けたのですか。
小林 実際には285日目で自助退縮しました。でも、〈治ったさん〉たちって、泉建治さんの腕立て伏せのように、何かしら代名詞がありますでしょ。小林紘一さんが全身生姜罨法を420日。だったら、もう一回、421回でもいいからその記録を塗り替えようって。
鎌田 ははあーん、そういうことですか(笑)。
小林 たまたま交流セミナーがあって、私はすごいことやってるって思いで得意げに発表したんですよ。そしたら、代表にめちゃくちゃ怒られて、ポカンとして(笑)。
竹内 意気揚々と臨んだのにね(笑)。
小林 そうなんです、どや顔だったのに、一刀両断。するどい指摘を受けました。そこで初めて私のやろうとしていることはモノコト主義かもしれないって気づいて恥ずかしくなりました。連続記録は一年の365日。あとは体調次第でやることにしました。つくづく自分よがりじゃだめだなって思います。交流セミナーのおかげで軌道修正できて、新たな気づきももらうことができたんです。
鎌田 加藤さんも、小林さんも、病院の治療を断って、まさに背水の陣を布いて、素晴らしい実践を積み重ねられた。自分で治すという決断が出来る人は少ない。そして、そのあとしっかり実践するというのもなかなか出来ないことです。病院の治療を断ったら、それだけで治ると思っている人もいて、実はそれが一番怖い。玄米食べて、朝散歩するぐらいで、それだけで治るのは難しい…。もっともっと勉強してほしいと切に思います。
 (2015年6月、横浜市内にて収録)
『いのちの田圃(たんぼ)』175号、177号より

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2015年11月08日

〜鎌田副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その7

座談会
ひたすら学んだ! 実践した! そして、つかんだ新しい人生!
〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その7


♪痛みを忘れるほど夢中で勉強!

鎌田 では、加藤さんの「やるっきゃない」は、実際どんなことをやったんでしょう。
加藤 私は手術の後遺症で肋間神経痛がひどかったんですね。
 ガン患研に入会する前は、痛み、痛み、痛みでもう再起不能かというぐらいに落ち込んでいました。いつ痛みがおそってくるのかって、朝から晩まで考えていました。手当て実習会に参加したとき、痛くてタオルが絞れなくて倒れちゃったんです。市川先生が手当てをしてくださって痛みがとれ、ああ、治るんだってはじめて思いました。
鎌田 早い時期に身体で実感できてよかったですね。
加藤 それからは、手当てと勉強に明け暮れたんです。「太陽燦々コース」を受講したから、ドリルもしなければいけないし本も読まなければいけない。手当ても手伝ってくれる人がいないからひとりで必死でした。そしたら、痛みに神経を向ける余裕がなくなっちゃった。
鎌田 ほう、あれほどの痛みなのに…。そのころは、第2回「千百人集会」に向けて、「太陽燦々コース」があったときでしたからね。
加藤 そうして、半年ほど経って、ふっと、あれ、痛みがないじゃんって。
鎌田 えっ、痛みが消えていたんですか。
加藤 はい、いつ消えたのかも分からない(笑)。同時に、私、続けて3回追突されてむち打ちになり、朝晩しびれて手足はバンバンに腫れていたんですね。それも全部解消されていて、本当に不思議でした。
 代表に、痛みが何年も続くってのは、精神的なことがすごく影響しているって言われたのが耳に残っていて、いろいろ考えると私は主治医のことを恨んでいたんです。それが痛みを増幅させていた。それと、痛みで死ぬんじゃないか、呼吸が止まってしまうんじゃないかという不安。でも痛みでは死なないんだって聞いて、ああそういうもんかって安心したということもあります。
鎌田 恨む余裕がなかったぐらいしゃにむに勉強しまくったことがよかったんですね。
加藤 そうなんです。やらなきゃ、やらなきゃってお尻に火がついてましたから(笑)。でそのとき、恨みなどを持っている限りはだめなんだなあと思いしらされました。
 痛みがなくなってから、じっくり落ち着いて合本を読み返してみると、すべて腑に落ちることばかり書いてあるんですね。それからさらに本格的に勉強を始めました。

 (2015年6月、横浜市内にて収録)
『いのちの田圃(たんぼ)』175号、177号より

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posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 08:04| 座談会シリーズ

〜鎌田副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その6

座談会
ひたすら学んだ! 実践した! そして、つかんだ新しい人生!
〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その6



♪やるっきゃないの背水の陣!

鎌田 さて前回では、ガン患研に出会っていただいて、さっそく入会。そこからの歩みをお話いただきました。竹内さんと野中さんは、死にたくなかったから必死だったと強調されていましたね。
加藤 私は、タンカを切って病院と縁を切ったので、背水の陣でした。
鎌田 ほう、自信があったからですか。
加藤 というより、こんな医者どうしようもないって思ったんです。私の質問に全然答えられないんですから。
鎌田 自信以前の問題だったんですね。
加藤 医者には最初っから不信ばっかり。手術のあと、痛みがひどく、患部が肺でしたから、特に息を吸うのがたいへんで…。私、我慢強いというか、どの程度で「痛い」と言っていいか分からなくて、痛みどめももらわないで、手術後のいろんなリハビリを受けていました。退院する日、医者がそんなに痛いはずがないと言うんです。だけど、執刀医の話から骨にヒビが入っていることが分かったんですよ。
竹内 それはひどい。
加藤 57センチも切っているのでその傷口の痛みだとばかり思って、我慢してたのに…。ぶっつけ本番の手術だったんですが、左の中葉を全部とられたし、それから、腫瘍マーカーもどんどん上がっていったし…。それも、私が見つけたんです。
竹内 医者ではなくて?
加藤 コンピューター画面を見ていたら、赤い数値がどんどん上がっていくんです。これってなんですかって聞いたら、「腫瘍マーカーだよ」って。「私は手術前は正常値だったのに、手術して悪いところをとっちゃったのに、上がっていくものですか?」ってさらに聞いたら「あっ、たぶんこれは下がると思うけど、下がらなくても大丈夫だよ。飲む抗ガン剤があるからね」…。
 そんな問題じゃないわけです、私の質問は…。そこでやり合ったら、私のことだから、「バカヤロー」ってなっちゃうから、ぐっと我慢して二度と行くまいと思って帰ったんです。
 40年来親しく付き合っている近所の開業医に帰りに寄ったんですよ。そこは、総合病院を紹介してくれたところだったんですけど、5年間は病院に行ってほしいと言うの。それで仕方なく主治医を代えてもらって通院。ところが、1年ほどたってCTをとったときに、「左の肺のことを聞いていますか」って。最初っから、左に怪しい部分があったって言うんですよ。何も聞いてなかったからすっごく、びっくりしました。仲良しの開業医も何も聞いてないという。全く信じられなくって、次に病院に行ったとき、「検査もなにも、すべて拒否します」って宣言しました。
「30年医者やってるけど、始めて患者さんに投げかけられた言葉だ」って言うの。「私は普通の患者じゃない」って言って、あらいざらいぶっちゃけて話したんです。
「先生、自分か家族がガンになったら、抗ガン剤しますか?」って尋ねると「やりません」って、そんな答え。「検査も一切受けない」と言うと「じゃ、胸の音だけでも聞かせてください」と言うから、「それで先生分かるんですか」と聞いたら「分からない」って。
 もうあきれてしまって、『治るため』を先生にあげて、それから一切行かなくなった。たぶん、死んだと思ってるのじゃないかな(笑)。
鎌田 気持ちのいいタンカを切った訳ですね。
加藤 知り合いの医者に、私のようなのは一番イヤな患者だから、行かなくなったら万々歳してるよって言われました(笑)。
鎌田 どうやって医者といい関係を維持しようかと悩む人が多いんですよ。検査だけは受けたいからって…。
加藤 私、医者には死亡届だけ出してもらえたらいいんです(笑)。
鎌田 地道な治す行動の積み重ねが下支えになって、自信ができて、という方が多いけど、加藤さんの場合は、違ったわけですね。
加藤 そうなんです。だから、やるっきゃなかったんです。
小林 私もやるっきゃなかったですね。「心の免疫セミナー」を受講して、どういうふうに実践したらいいのかある程度道筋がつかめたんですが怖かったですよ。とにかく3、5センチの取り残しのガンがあるのでやるしかないと思って頑張りました。今から思うと崖っぷちに立たされたから、すごい力が出たんじゃないのかな。とにかくひたむきにコツコツとやるしかなかったです。
鎌田 お二人とも、まず決断ありきで、突き進んだのですね。

 (2015年6月、横浜市内にて収録)
『いのちの田圃(たんぼ)』175号、177号より


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posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 07:44| 座談会シリーズ