2022年07月04日

これで治る!


 〈治ったさん〉座談会
 絶対生きる!
 自分に向き合い、自助療法を
 やり抜き通して掴んだ幸せ! 
  …その5


…6人の〈治ったさん〉たちに突然つきつけられたガンの診断。
6人は、自らのガンの原因に向き合い、その原因をとりのぞ
いていく行動を開始し、治ることを確信していく。
さて、実際にどんなことをしていったのでしょうか?


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これで治る!
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中島さん:さきほど申しましたように、これって決めたらとことんやり抜くっていう性格。それを逆手にとって治す方向に置き換えられたのかな。
こつこつと継続していくなかで、快眠快食快便。それまで35度台だった体温も36度まで上がってきて、そのころから体調の変化を少しずつ体感しました。1年後には体重が10キロぐらい減って体が軽くなり、体調がよくなってきて、小さな光が見えてきた感じがしました。
その4年後に「すべては、あなたが治るため」という講演会が地元福岡であり、川竹代表や〈治ったさん〉の話を聞いてすごく共感し、涙がとまりませんでした。今までやってきたことが間違いじゃなかったと確信して即入会。仲間がいるんだってことを強く実感して、支部例会が楽しみになり、共通の会話をして多くの方からパワーをもらいました。
病院の治療にかけるか、家内の勧める自助療法にかけるか…「どうせ死ぬのなら」という思いで選択したことに間違いはなかったと思いました。


牛尾さん:列島縦断講演会で〈治ったさん〉を見て、ああガンは治るんだなとは思ったんですけど、その時点ではこの方々はあくまでもチャンピオンデータであって特別な人たち、と思いました。けれど会員になって『いのちの田圃』とかいろんなテキストを読んでいくうちに、理論的に、これをしっかりやっていれば必ず治る、そういう仕組みができているんだな、と思いました。
 さっき中島さんがおっしゃっていましたが、私も決めたことは結構継続します。やると決めたら、絶対それをやらないと寝ないぞ、というふうに自分を鼓舞することが好きな方で、たとえば1日平均7千歩必ず歩こうとか、目標数字を決めると結構燃えるんです。この性分をうまく生かしながら自助療法を凡事徹底できたのかと思いますね。
交流セミナーには入会以来欠かさず出席しましたが、毎回毎回、代表から「牛尾さん、物足りない」と言われるんですよ。「まとまりすぎている。もっとやんちゃになれ」って。今「やんちゃじじい」を目指しているんですよ


市川さん: ガン患研に入ってからは、講演会もセミナーやシンポジウムもとにかくいっぱい出ました。そこでは、〈治ったさん〉が、大丈夫、大丈夫、ちゃんとやれば治るからって言ってくださって、すごく励まされました。
 自助療法を続けて、体重は十数キロ減り、腰痛持ちで狭心症の持病もあったのにそれがなくなったんです。やー、これすごいって!
それに心に負担をかけない。我慢しなくていいんだと思うと、すごく楽になって、「人にどう思われても平気」というように変わったんです。そのとき、私は大丈夫だなと思いました。


近藤さん: 原因のところでお話しした、なんでも期待に応えてしまうってところですが、その原因をとりのぞくために心がけたのは、「それできません」と言えるようになること。たとえば仕事上で誰かに頼まれたときに、本当に自分の能力でできるものかをよく考え、難しいと思ったときは素直に「申し訳ありません、できません」と言えるように頑張りました。
日常の生活でも、カミさんにお茶碗洗ってね、と言われても、気がのらないときは、「できません」って言います(笑)。


太田さん:私は〈あさひさん〉※を早くにいただいたんです。あのときは、ガンって治るんだってすごく励みになりました。もちろんガン患研に入ったら、必ず治ると思っていましたけど、そういう中で、〈あさひさん〉に認定していただいたことは大きかったと思います。
 ※〈あさひさん〉…ガン患研では、まだ〈治ったさん〉ではないが、学びや実践が素晴らしい人を〈あさひさん〉として認定している。
 ガン患研のやり方というか演出というかサプライズに、とっても楽しい思いをさせていただいた。私たち病人なのに、喜びとか期待とか、そういうのがあふれていて、そういう心遣いがガン患研にはいっぱいあって、そういう意味でも癒やされてきたなって思います。
それにガン患者であるということで卑屈にならずにいられたのは、ガン患研の仲間がいたから。それはすごい励みになりました。例会とかでも、今までにない友人の関係ができたりして、かけがえのない場所ですね。


平山さん: 心の免疫セミナーにいったときに、代表にお話ししたのは父との関係のこと。父は独学で船長まで上り詰めた、ありえないぐらい厳しい人だったので、その関係性が原因かなと相談させていただいて、自分の弱いところやそこまで思いつめなくていいんだってことを指摘していただいてぐっと変わる起点になったのかな。
 手術していて、体の中にはガンがなかったのでどこまでやれば治ったといえるのか分からなかったのですが、とにかくものの考え方とか発想を変えなくてはまた同じことを繰り返すのだと思いました。
毎日、日めくりカレンダーを見たり、合本を読んでいろんな方の体験を参考に、よさそうだと思ったら取り入れました。そんなことを積み重ねることで、心も、ものの考え方も柔軟になりました。そんなふうに気持ちが変わることで、いろんなことが自分に舞い込んできても、いい方に持っていけるようになったと思います。
 子供も小さかったし、セミナーに行きたいと言い出せずにいたんですけど、休職した一年が終わる頃に、心の免疫セミナーにだけは絶対に行きたいと思って行ったんです。それが転機になりました。

           (つづく)

posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 15:44| 座談会シリーズ

2022年06月25日

「手術したら、もう大丈夫?」

   集合写真.jpg
  〈治ったさん〉座談会

 絶対生きる!
 自分に向き合い、自助療法を
 やり抜き通して掴んだ幸せ! 


  …その3

  〜zoomを使ったオンライン座談会です〜


…6人の〈治ったさん〉たちに突然つきつけられたガンの診断。
そして治療が始まる…。
 命を守るために、それぞれがとった行動は?

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手術したら、
もう大丈夫?
それとも?
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近藤さん:告知の2週間後の8月には手術できるというので、その間も仕事は続け、夏休みと有給休暇をとって手術にのぞみました。「必ず再発しますよ」と言われたけれど、あきらめがつかなくて、情報収集を始め、インターネットで徹底的に調べていきました。

太田さん: 近藤さんがネットで徹底的に調べたというのをうかがいましたが、私は一切調べなかったんです。なんにも調べないで手術することに決めていった。なんか、あまりにも無知で人の言うまま…。あとでもっと慎重になれよって、すごく反省しました。
 ただ、ガンになる数カ月前に、〈治ったさん〉の奥様にめぐりあっていて、そのおかげでガン患研に入会。手術のあとの治療は一切受けていません。

牛尾さん: 近藤さんと同じように、私も徹底的にいろんな文献とか、ネットサーフィンで探していたところ、私の住む街の近くでガン患研の列島縦断講演会があることを知って参加。ガンを治された方がどんどん登壇されて、その姿をみて、入会しました。
そのときは数カ月後に手術が控えていたんですけど、摘出手術だけ受け、あとの治療は一切しないと決めて、自助療法を続けました。

近藤さん: 牛尾さんが言われたと同じ講演会が、私の住む仙台でもあって、座っていたら、声をかけてくれたのが、〈治ったさん〉の泉建治さんでした。「あなたは治りますよ」と言ってくださって、あっ、自分も治るんだって、非常に嬉しくて。治る希望をいただいた瞬間でした。
泉さんや、そのあと仙台支部でお会いした佐々木英雄さんは、ほんとにこの人ガンになった人なの? と思うぐらい血色がよかったので、それでよけい、私も治るって思えたんです。

中島さん: 私がガンになる前に家内の父親が前立腺ガンを患っていて、家内は食事や自然療法をかなり勉強していました。だけど、その勉強したことを父親にやってあげることなく、父親も、自分がガンであることを知らずに亡くなった。家内はそれを後悔していて、自分が勉強してきたことをやってみないかと私に勧めてくれたんです。病院には、延命治療しかないと言われていましたので、家内の勧め通り、生活習慣の改善と心の改善に取り組みました。

平山さん: 職場の健診でガンが分かったんですが、私もすぐに手術をお願いしました。幸い手術と同じころにガン患研を知ったので、手術後の抗ガン剤治療などは全部お断りして、ガン患研のやり方をいろいろ教えてもらいました。
市川さん: 私は病院で治してもらうということしか頭になく、温存手術と放射線30回、ホルモン剤を1年やって、副作用で両膝に疼痛が出てきました。そうなって初めて、ガン患研に出会い、自分でなんとかしなければという考え方に変わったんです。それから薬を断(た)って、いろんな自助療法を始めました。治るための勉強も一生懸命やりましたね。 

  (つづく)
posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 10:09| 座談会シリーズ

2022年06月21日

〈死〉が、頭から離れない…

〈治ったさん〉座談会
絶対生きる!
自分に向き合い、自助療法を
やり抜き通して掴んだ幸せ! 
…その2

前回は、6人の〈治ったさん〉の
プロフィールをご紹介しました。
さて今回は、ガンがわかったときの
お話です。
今はニコニコ笑顔の〈治ったさん〉ですが、
ガンと告げられたときはどうだったのでしょうか。

〈死〉が、
頭から離れない…


中島康夫さん:排尿時に異常があったんですが、病院に行くのが怖く
て…。だけど、状態がひどくなる一方で、決心して検査入院しました。
そして明日退院というときに医者に呼び出され、
「前立腺ガンW期、悪性度は9」と突然の告知でした。
退院する日の朝に聞くのだろうと、気持ちの準備をしていたのに、
不意うちをくらった感じ…。
心の準備ができていないせいもあって、アントニオ猪木から
頭をキックされたような…。明け方まで涙で寝られなかった。
十数年経っているけれど、いまだによく覚えています。
近藤利也さん:私は人間ドックで見つかりました。
先生に、2週間後にたまたま空いているからどうですか、
と言われて、とにかく手術してほしかったので、すぐにお願いしました。
見つかったのは46歳ぐらいのとき。
「若いんで、必ず再発しますよ」と言われたときは頭のなかが
すっかり真っ白になりました。
膀胱ガンは再発率は50%。もしかしたら自分は…と想像し、
これからガンによる死への恐怖が、延々続くんだろうな…。
死というのが頭から離れなかった。
共働きだったのですが、長期治療で自分が無給となったら
貯蓄もあまり多くないので住宅ローンの負担は大きく、
妻にも相当の苦労をかけるだろうな。
万が一、この世とオサラバした場合は退職金などもあるし、
住宅ローンは信用保険で負担がなくなるだろうから、
家族がなんとか生活していける分だけは残せてやれるかなとか、
そのころは、自分が死んだあとの家族の生活のことしか
考えられなかったような気がします。
牛尾敦史さん:私は1997年から歯肉が白いという症状が出ていまして、
ガンになる可能性があるということでずっと検査だけは
受けていました。
ガンになる1年前には、悪性になることはないから検査に
来なくていいと言われていた。それから8カ月ぐらい経って、
たまたま通っている歯医者さんで、また白いところが
広がっていますねと言われたんです。通っていた病院に行ったところ、
「あっ、ガンになっていますね」ということになってびっくりしました。
まったく自覚症状もないし、食事とか結構健康管理に
気をつけていて、自分がガンになるっていうのは考えられなかった。
こんな品行方正な男が、なんでガンになるんだろう…
実はそれが問題だったんですが…2、3日、悩みました。
私、30年前ぐらいから朝起き会という勉強会に入っていて、
その会ではよく「苦難福門」と教えられていて、
これが必ず「福門」につながるんだと、言い聞かせ、
精神的には安定した状態だったと思います。
太田和江さん:私は、ガンだと言われたときは、比較的冷静でした。
不摂生な生活をしていたので、当然だろうなという思いと、
私がガンになるわけがないという気持ちの両方がありましたね。
市川功子さん:会社の健康診断で見つかって、びっくりして精密検査を受けたら、
間違いなくガンだねと…。
今から思うと不思議ですが、自分がガンだと分かる半年前に
姉が膵臓ガンになって、すごく驚いたんですよ。でも、
変な自信があったのか、自分がなるとは全然考えていませんでした。
「T期だからね、再発の危険性も低いし、手術後はもとの生活に
もどっていいよ」って言われて、どこかほっとして…。
ああよかった、治るんだって思って、手術、放射線もホルモン剤も、
すべてやりました。
平山美樹さん:ガンが分かったときは、子供が9歳と6歳。
私も職場の健診で見つかったのですが、確定診断を受けるまでは、
自分がそんなことになっているなんて夢にも思わず、
ずっと楽観的だったけれど、あれ、なかなか検査から開放されないなと
思っているうちにどんどん進んでいっちゃって、最後に
「3・5センチのガンが、場所も真ん中にありますから、
あなたの場合は右側を全部とります」と言われたとき
はさすがにショックでした。
確定診断を受けた日は、子供の豆まきの行事がありまして
、その行事を見に行ったけれど立っていられない…。
ベンチみたいなところでへたり込んで見た気がします。
手術しても再発するんだろうなといった、ガンにつかまると
逃れられないみたいなイメージがすごくありました。
あともう2、3年かなって思って、周りの景色の色が
なくなったような、なんか違う世界にいるみたいな。
楽観していただけに、そのギャップに自分でも驚きました。

        (つづく)


posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 15:30| 座談会シリーズ

2022年06月19日

自分に向き合い、自助療法をやり抜き通して掴んだ幸せ!

ガン患研の会報誌『いのちの田圃』の
人気シリーズ「〈治ったさん〉座談会」

今回は258号に掲載された記事です。

〈治ったさん〉たちが、どのようにして
健康を取り戻すことができたのか…。そして
とりわけ、生きがいでもあり、生活を支える仕事
とどのように向き合ったのか…それが、
大きなテーマです。

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「絶対生きる!
自分に向き合い、自助療法をやり抜き通して掴んだ幸せ!」


思いがけずガンの診断を受けて、命の危機に直面!
絶対生き延びることを第一に、自分のガンの原因に向き合い、
生活習慣を改めるのはもちろん、心の持ち方のクセを
徹底して変えて、さまざまな困難を乗り越えてきた
6人の〈治ったさん〉たち。
なかでも仕事をどうするかはとりわけ大きな問題。
ガンの患者学研究所では、ガンを治すためには、
仕事から離れることが原則ですが、
さまざまな工夫と努力を惜しまず、
いのち最優先を貫いた6人の方々にお話を伺います。

6人の〈治ったさん〉たち


中島さん.jpg  中島康夫さん


2005年前立腺ガン末期。延命治療しかないと言われたが、奥さんと二人三脚で自助療法に励み、3年後にはMRIで異状なし。






近藤さん3.jpg  近藤利也さん



2009年膀胱ガンV期。手術するも必ず再発すると告げられ、必死に情報収集。ガン患研と出会い、凡事徹底を継続し〈治ったさん〉に。







市川さん3.jpg 市川功子さん


2008年乳ガンT期。温存手術と放射線30回、ホルモン剤1年。ガン患研に出会って薬を断ち、自分で治す道を選ぶ。ガン患研入会相談員のお一人。







太田さん4.jpg 太田和江さん


2013年S状結腸ガンV期B。すぐに手術をするが、〈治ったさん〉との出会いがあってガン患研に入会。その後の治療は全く受けず、自助療法を徹底。







平山さん2.png 平山美樹さん


2011年右乳ガンU期リンパ転移。職場の健診で分かり手術。同じ頃にガン患研を知り、抗ガン剤治療などを全て断る。いのちを守るために自分を変える努力を続ける。






牛尾さん2.jpg 牛尾敦史さん


2015年3月に歯肉ガンT期。5月に摘出手術。「T期で自覚症状が何もない人が一番危ない」という代表の言葉を胸に自助療法を徹底。昨年1月に〈治ったさん〉に。

(つづく)






posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 13:38| 座談会シリーズ

2016年01月18日

〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その11

座談会
ひたすら学んだ! 実践した! そして、つかんだ新しい人生!


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♪幸せでなくちゃ!
鎌田 では、最後にお聞きします。みなさんもし、セミナーを受講してなかったら、どうだったでしょうか。
近藤 死んでた…。
野中 死んでたと思う。
加藤 私も死んでた。
鎌田 えっー、ものすごく端的ですね(笑)。
小林 でも、結局そうですよね。
野中 生きていても、悲惨。精神的にも悲惨で、夫婦関係もめちゃくちゃで…。
加藤 ガンでなくても何かの病気になってる。
野中 それは確か。どの病気が出るか競争していて、たまたまガンが一等賞をとったんですからね(笑)。
小林 ガンだったからよかったってことありますよね。必死になるから。
加藤 すぐ死ぬんじゃないからすごくいい病気。
野中 悔い改める時間があった…。
竹内 セミナーに行かなかったら、常になんらかの不安を抱えたまま、あちこちの療法をつまみぐいしてたんじゃないかな。
加藤 仕事をやめられなくて、どんどんコンピューターについていけなくてイライラ。たぶん兄の後継者とそりがあわなくて、一族もバラバラになってるかもしれない。
野中 僕は必ず再発すると言われていたから、再発と手術を繰り返して結局不安におびえながらガンのことばっかり考えている人生。全然おもしろくない、ガンにとりつかれた人生だったかも。
近藤 セミナーに行かないと分かったつもり。たぶん川竹さんだったらこう言うんだろうと、だろうの世界から抜け出せない。
小林 なんとか自分で解決しようと思うでしょうね。本を読んだりすれば自分でできると。でも、それには限界があるんじゃないかな。ひとりじゃ絶対無理。ひとりでいいと思ってやってきた積み重ねで結局ガンになっているわけですから。第三者の目から見てもらってズバズバ言ってもらうってとても大事ですね。
野中 ひとりでやっているとすごい不安。結果も数年間は出ないんですから、セミナーや千百人集会などに行って、希望が出るというのが大きかった。治ったコールでエネルギーをもらい、くじけそうなときにヒントをもらった。僕は厳しいなんて思ったことはない。休憩時間になったら走っていって質問しました。
小林 一対一だけじゃなくて他の人のカウンセリングを聞いても大きな気づきがありますね。
野中 確かに自分にあてはまることがいっぱいある。ガン患者になる人は共通点がある。
加藤 自分だけじゃないんだという安心感がありますね。頑張っている人、自分と同じ不安を抱えている人がいるんだって…。
鎌田 おおっ、いろいろ出てきましたね。なんだかウルッときちゃいました(笑)。講師冥利に尽きます。
小林 列島縦断講演会で、関輝夫東京支部長が「治るための3カ条」をあげてらっしゃいました。一つ目は、初期投資を怠らないこと。2つ目は素直に全部受け入れること。3つ目は自分のために時間とエネルギーを使うことって。「いのちがかかっているんだから」っておっしゃっていて、ほんとうにそうですよね。
鎌田 ここにいらっしゃるみなさんは、セミナーでの学びを素直に受け入れて、自分のために全精力を尽くしてこられたんですからね。
加藤 ガン患研のセミナーで勉強したことは一つも無駄になってないですね。ガンって生き方を変えなさいというメッセージ。私は兄弟みんなガンで亡くなるという大きな犠牲を払ってようやく気づきました。今までで今が一番幸せです。
小林 〈治ったさん〉になってそれでおしまいじゃないですものね。幸せは無限。これからも、もっと深い気づきを重ねてどんどん幸せになりたいです。
鎌田 今日は、皆さん、素晴らしいお話をありがとうございました!
    (了)
 (2015年6月、横浜市内にて収録)
『いのちの田圃(たんぼ)』175号、177号より




posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 11:23| 座談会シリーズ