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2017年01月22日

栄養学の嘘と間違い 食事を改めるA

 
ガンを契機に、真に価値ある人生を創造する…ウェラー・ザン・ウェル患者学の確率を目指す大型連載
ウェラー・ザン・ ウェルへの道 第5回


栄養学の嘘と間違い
     ーーーーー食事を改める A


川竹 文夫(ガンの患者学研究所代表)

〜『いのちの田圃(たんぼ)』6号より〜


 『一日三十品目をとるのが正しい食事です。私は看護婦で、栄養学の知識もあります。川竹さんのお話は間違っています。玄米や野菜だけではバランスがとれないことは、はっきりしていて・・・』
 ある講演会のアンケートに、こんな意見があった。
 一時間半、熱弁を振るった結果がこの反応である。気持ちは一瞬なえそうになった。
 が、よく見れば、欄外の余白には、次のような小さな文字が並んでいるではないか・・・。
 『私はいま、乳ガンを再発していて、食生活も関係しているような気もします』
 近代栄養学と玄米菜食。この二つの間で、彼女の心は、今日初めて揺れ始めているのだろう。

 昭和三三年、『六つの基礎食品』が発表された。一群は米などのカロリー源。二群はタンパク質。そして三群はカルシウム・・・六つの群から、まんべんなく栄養をとろうというものである。
 これは一見すると、バランスを考慮しているかに見え、しかしその実態は、ただひたすら大量の栄養をとろうというものであった。
 強く大きなアメリカ人。ひ弱でチビの日本人。敗戦による自信喪失。盲目的なアメリカ信仰。
 そこから出発した、日本の近代栄養学は、これをきっかけに、本格的に栄養至上主義への道を歩み始めるのである。
 もっとカロリーを、もっと油を、もっともっとタンパク質を!
 「米を食べると馬鹿になる」
 こんな暴論を述べた本がベストセラーになった。
 「一日一回フライパン運動」
 ともかく油を食べよう、というキャンペーンが、大真面目に展開されたこともあった。
 「タンパク質が足りないよ〜」
 コミカルなテレビコマーシャルも大流行した。
 そして・・・高度経済成長を経て、日本人の栄養は明らかに過剰になり、生活習慣病が激増した。
 この傾向は、バブル経済によってさらに加速。その結果、六十歳以上と言われていたガン年令は、急速に低年令層にまで広がり、子供の皮膚病であったはずのアトピーは、今や、青年から、中年層にまで広がろうとしている。
 何かが、どこかで、間違ってしまったのだ。前号に引き続き、その誤りを指摘しつつ、新たな道を探っていきたいと思う。

第T部 合成の誤謬(ごびゅう)

 一つ一つをとってみれば正しい行為であるのに、それらが寄り集まると、結果として、大きな間違いや失敗につながってしまうことを、合成の誤謬という。現代栄養学には、まさに、この言葉が当てはまる。
 何故か?

@栄養学は『栄養素学』
 現代栄養学は、食品を栄養素としか見ていない。例えば・・・。
 ストレス解消=カルシウム=牛乳
 疲労回復=ビタミンB1=豚肉
 という風に。これではまるで、薬やビタミン剤をとるのと同じ。が、食品には、常にいくつもの栄養素が含まれているので、当然、矛盾が起こってくる。例えば・・・。
◆先日ある医者が、肥満防止に毎日二個の卵を食べろとテレビで語っていた。卵に含まれているオボムコイドが、肥満を防ぐからだという。
 また別な医者は、血管をやわらかくするために、毎日七十グラムの肉を食べろと勧めていた。
 彼らの言うことを真面目に実行すれば、動物タンパク、脂肪、カロリーの取り過ぎになり、早晩、生活習慣病になるだろう。合成の誤謬の典型である。

A食べ過ぎになる
◆『一日三十品目』の推奨にも同じことが言える。これで食べ過ぎを避けるのは、至難の業。
 私はよく、「七味唐辛子を七品目とでも数えるか」と冗談めかして言うが、半ば本気である。
◆カロリーやタンパク質や脂肪など、各栄養素の分量計算に大変な労力が必要になる。
 あるテレビ番組で、栄養士が、有名料理人に理想的な栄養バランスのデータを示し、それを実際に作らせる企画があった。が、たいていは、何かが足りなかったり多過ぎたりした。毎日の食事で、一体誰が、こんな芸当が出来るだろう。

B矛盾に悩む
◆さまざまな病気や症状にあわせて、有効な栄養素を取り上げ、それを多く含む食材を紹介している本を最近よく目にする。
◆が、食材は合成物ではない。ビタミンEやカロチンなどという食材は、自然界には絶対存在しない。
 都合のいい栄養素だけを抜き出して、食べることは出来ない以上、へたに勉強した人ほど迷ってしまうのだ。
◆タンパク質をとるために、卵を食べようと思っても、卵にはコレステロールがあって食べられない。
 カルシウムをとるため、煮干しを食べようとする。が、魚の干物は、油が酸化しやすく、猛毒の過酸化脂質になることがある。
 胃ガン予防に、カテキンの効果を期待して緑茶をがぶ飲みすれば、カフェインのとり過ぎになるだろう。
◆どうしても上記のような悩みが生じる。 栄養素 のみを追いかけて、食べ過ぎたり、何を食べていいのか分からなくなる病気を、「思いっきりテレビ症候群」と私は呼んでいる。これも合成の誤謬の典型。

第U部 牛乳信仰の愚かしさ

 『栄養素学』になってしまった現代栄養学は、食べる人間の身体や生理、あるいは自然の摂理に反することを、平気で推奨することがある。
 その結果、かえって健康を損ねてしまう。その典型を牛乳信仰に見ることが出来る。

@骨は丈夫にならない
◆牛乳を飲む人の多くは、カルシウムを期待している。牛乳のカルシウムは吸収が良いとも言う。
 が、カルシウムが骨に沈着する(つまり丈夫になる)には、運動などによって、骨に負荷(重量などの負担や刺激)をかけることが条件。
◆かつて、宇宙飛行をした飛行士たちの骨密度が下がっていることが話題になった。無重力の宇宙空間では、骨に負荷がかからないからである。
◆また、太っている人が痩せている人よりも骨粗鬆症になりにくいのは、体重が負荷になっているから。
 つまり、運動もしないでカルシウムをただ摂取しても、骨粗鬆症は防げないというわけである。

Aカルシウム脱解が起こる
◆骨粗鬆症は、アメリカや日本のように、肉や牛乳の消費量が多い国にこそ多い。これは紛れもない事実である。何故このような矛盾が起こるのか?
◆人間の血液は、弱アルカリ性の時がもっとも健康。が、肉や牛乳などは酸性にする。すると、それを中和するべく、骨からカルシウムを奪ってしまう。
 これをカルシウム脱解(だっかい)というが、こうして血液中に脱解されたカルシウムイオンは、尿に交じって排泄され、腎臓結石や膀胱結石を引き起こしたりもする。
◆牛乳をとればとるほど、血液は酸性になり、カルシウムは奪われていくという皮肉な結果を招くのだ。
◆ちなみに、血液を酸性にする要因としては他に、糖分、過労、不眠、ストレスなどがある。
◆また、牛乳や肉の動物タンパクは、先月号で書いたとおり、脱アミノ作用によって、肝臓や腎臓を疲労させ、免疫を低下させる。
◆つまり、牛乳を飲むより、まず、動物タンパクを控え、血液を弱アルカリに保ち、運動で骨に負荷をかけることの方が、大切なのだ。

B健康を損なう
◆牛乳のタンパクは人間にとって異物(異種タンパク)。そのため、血液中に入って、アレルギーの原因になる。アトピー、喘息、膠原病、潰瘍性大腸炎などの増加の一因も、ここにあると言われている。
◆日本人の約七十五%は、乳糖不耐症。乳糖はラクターゼなどの酵素で分解され、腸で吸収される。
 が、欧米人と違い、離乳期以降の日本人の多くは体質的にこの酵素がないため、飲んでも吸収されない。腹がごろごろしたり下痢気味になるのは、身体にとって有害なものを排泄しようとしている証拠。
◆それを健康のためだと信じて無理矢理飲めば、欧米人に比べて、生活習慣病を招く危険性は一層高まる。
◆約四百種類の哺乳動物のうち、他の動物の乳を飲むのは人間だけ。牛の乳は、あくまでも牛のためのもの。日本人に限らず、人間が飲むこと自体、自然の摂理に反するのだ。

カルシウム比較図.jpg










 戦前・戦中の人たちの心には、食べ物に不自由した時代の暗い記憶と、アメリカ型食事への憧れが頑固にこびりついている。
 日本人が、十分に食べられなかった戦後の一時期、現代栄養学は、不足した栄養素を見つけて、補うことを使命としてきた。
 しかし、いいと思われる栄養素を、ただひたすらプラスしていくばかりの思考法は、栄養過剰を生み出し、生活習慣病やさまざまな病気の増加に手を貸すという皮肉な結果を招いてしまった。
 肉や牛乳によって、動物タンパクや脂肪をやみくもに取り込むアメリカ型の食事は、その典型である。
 また一方、若い世代の間には、『スナック菓子+野菜ジュース+ビタミン剤』をいい夕食と思うような深刻な混乱も引き起こしている。
 今、私の手元に一冊の小さな本がある。まったくの一般書であるにもかかわらず、百五十種類以上もの食品が紹介されており、それぞれについて何種類もの 身体にいい 栄養素が推奨されている。
 しかし、これらの栄養素をどのように組み合わせても、それは決して
 食事 にはならない。
 あれがいい、これがいい、こっちの方がもっといい、ついでにこれもと、混迷を深めるばかりだろう。
 私たちが求めるものは、栄養素ではない。量ではなく質によって豊かな食事であり、食生活である。
 そして、そこから導きだされる心身の健康である。
 今こそ、何よりもまず、日本の風土と叡知がはぐくんできた、シンプルで豊かな食事『玄米菜食』を、もう一度、発見しなおさなければならない。
 ありがたいことに、それはそのまま、人本来の食事でもあるのだ

ガン育成3高食.jpg












posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 06:37| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』

2017年01月15日

自分で治す手はじめに 食事を改める@


ガンを契機に、真に価値ある人生を創造する…ウェラー・ザン・ウェル患者学の確率を目指す大型連載
ウェラー・ザン・ ウェルへの道 第5回

自分で治す手はじめに      
     −−−食事を改める @


川竹 文夫(NPO法人ガンの患者学研究所代表)


〜『いのちの田圃(たんぼ)』5号より〜


 抗ガン剤を拒否した友人に、主治医は言ったそうだ。
 「抗ガン剤で、半年の余命が、一年に延びた人がいるんですよ」
 「ふざけんじゃないよ」と、その友人は、激しい憤りを感じたという。当然である。
 友人が目指しているのは、そして患者の誰もが真に望んでいるのは、言うまでもなく、完全治癒だ。
 わずか半年、 先生のお力で長く生きさせていただこう などと思っているわけでは、断じてない。
 ガンになる以前にも増して、心身共に健康で幸せな人生を、この先、二十年も三十年も、笑顔で満喫しようとしているのである。
 それも、ただぼんやりと望むのではない。当然に実現可能なこととして、なのだ。
 にもかかわらず、たかだか半年の延命を誇らしげに語るとは! そうとでも言えば、友人が抗ガン剤に同意する可能性があるなどと、一瞬にせよ考えるとは! しかも、次のような捨てぜりふまで吐いたという。 
 「私の受け持った患者の中で、代替療法で治った人は一人もいません」 この医者は、もしかすると、無邪気で愛すべき人物なのかもしれない・・・これほどの無知と傲慢と恥知らずを、こんなにあからさまに見せることが出来るのだから・・・。

 さてしかし、こんな医者を育ててしまったのは、私たち患者にも責任がある。
 誤った生活習慣がもとでガンになったにもかかわらず、自らは何ひとつ改めようとせず、すべてを医者任せにしてこなかっただろうか。
 かつての私がそうであったように
 「先生だけが頼りです」と、運命も命も預けてしまっていないだろうか。拝むから威張る。それだけのことなのだ。
 とすれば、なすべきことは一つ。医者任せを改め、医者を利用しながら、『自分で治す』のだという決意と知恵を身につけることである。
 今号ではまず、そのためのステップを三つ、紹介する。

ステップ1 ガンの本質を知る

 ガン細胞の固まりが、検査で発見されるくらいの大きさ(0、5o以上)になった時、人は突然、ガン患者と呼ばれる。そのため、ガン細胞そのものが、ガンという病気の本体だと思い勝ちだ。
 しかしそれは、大きな間違いである。ガンという病気の本質は、『ガンを育てやすい体質』そのものにあり、ガン細胞は、その体質を反映して出来る、影にしか過ぎないのである(『ガンの本質図』参照)。

ガンの本質図.jpg







 どういうことか・・・。
 人の身体には、毎日例外なく、数個のガン細胞が新たに生まれている。しかし、免疫細胞が全身をパトロールし、見付け次第に駆逐しているため、一定以上にその数は増えない。多くの人が健康なのは、そのおかげである。
 ところが、なんらかの理由から免疫機能が衰えた時、ガン細胞は増殖を開始、やがては健康を損ねるまでに育ってしまう。
 では何故、免疫機能は低下したのか・・・ライフスタイル、食事、心の乱れが続いたためである。
 私は、そのような乱れの結果として出来上がった体質を『ガンを育てやすい体質』と名付けた。
 この体質こそが、ガンという病気の本質であり、正体なのだ。
 手術や抗ガン剤によって、せっかくガン細胞を取り除いても、再発してしまうことがあるのは、この、『ガンを育てやすい体質』が温存されているからに他ならない。
 そして、体質に最も直接的な変化を及ぼすものこそ、食事である。
 食事療法によって、ガンが完全治癒に至るのは、『ガンを育てやすい体質』が、根本から改善されたからである。
 食事は、単なるエネルギー源ではない。かつての私が誤解していたように、車にとってのガソリンのようなものでは、決してない。
 食事が身体を作り、体質を作り、命を育む。
 食べることは、生きること。いかに食べるか、それは即、いかに生きるかにつながっている。

ステップ2 肉信仰の誤りを知る

 ではどんな食事が、『ガンを育てやすい体質』の改善に役立つのか。ずばり、肉食中心から、玄米菜食への一大転換である。
 ところがその時、最初の障害となるのが、根強いアメリカ型食事への信仰。栄養といえば肉、スタミナといえば肉、という迷信だろう。だが肉には三つの大きな害がある。

@高カロリーの害
◆肉にたっぷり含まれている脂肪は、炭水化物の九倍ものカロリーがある。肉食は、どうしても高カロリーに結びつきやすい。が、低カロリー食の方が長寿になることは、種々の動物実験で有名。
◆低カロリーの状態では、限られたカロリーをガン細胞と正常細胞が奪い合う。その場合、勝つのは、正常細胞だという研究がある。
 理由の一つは、ガンの血管が正常細胞のそれに比べて、細くうねうねとまがっていて、いわば、田舎道を輸送するようなものだから。
◆高カロリーの点滴をすると、ガンが増殖しやすくなってしまうことは、よく知られている。つまり、高カロリーは、ガンに餌をやっているようなものなのだ。

A動物タンパクの害
◆肉や牛乳に含まれる動物タンパクが身体に役立つためには、肝臓で、脱アミノ作用という複雑な処理をしなければならない。このため肝臓は疲労。またこの時、尿素や尿酸(痛風の原因になる)という有害物質が出来る。これを腎臓が排泄しなければいけないので、腎臓も疲労してしまう。
◆『肝腎要』という言葉があるように、肝臓と腎臓は最も重要な臓器の一つ。疲労すれば、当然、免疫は下がる。現にガンがある人や再発のリスクを抱えている人にとっては、明らかにマイナス。
 ちなみに、大豆などの植物タンパクは、脱アミノ作用がいらない。
◆過剰な動物タンパクは、腸内で腐敗し(おならや便が臭いのはその印)、インドール、硫化水素、メタンガス、アンモニア、ヒスタミン、ニトロソアミンなどの毒素を作り出す。これらが大腸ガンを始め、さまざまなガンの原因になる。

B高脂肪の害
◆肉に脂肪はつきものだが、牛・豚・鶏などの体温は、人間よりも3度前後は高い。動物の血液中ではサラサラとしている脂肪も、人間の体内では凝固して、血液がベタベタと粘り、赤血球や白血球、リンパ球などが互いにくっついたダンゴ状態になってしまう。
◆となると、渋滞の道路と同じく、血液の流れが悪くなる。ことに、全身に張り巡らされた五十一億本もの毛細血管は、直径が0,005o以下しかない。当然、あちこちで渋滞を起こす。
◆その毛細血管を通って、全身をパトロールし、ガン細胞を見つけ次第に殺してしまうNK細胞は、最も頼りになる白血球の一種。が、渋滞では、働きようがない。
◆酸素を運ぶ赤血球が毛細血管を通れなければ、身体は酸素不足にならざるを得ない。酸素不足は、ガンの原因の一つ。
◆肉(つまり脂肪)を食べた後の白目の部分を顕微鏡で観察すると、赤血球やリンパ球などがベタベタくっつきあっている様子が見える。そして、この状態は、二十四時間も続くという(『胃腸は語る』弘文堂)。肉好きの人なら、二十四時間以内にまた食べるだろうから、その人の血液は、常にべたついていることになる。
◆栄養といえば肉、スタミナとくれば肉と考えがち。が、これこそ最大の迷信。肉食こそ、最も危険な『ガン育成食』なのである。

ステップ3 アメリカの変化を知る

 アメリカは、穀物と野菜を中心とした伝統的な日本食を模範に、着々とガン死を減らしている。
 一方、肉と牛乳の、古いアメリカ型食事を今だに理想としている日本では、ガン死は増え続けるばかり。何たる皮肉であることか!

◆一九七七年、アメリカで発表された『マクガバンレポート』は、穀物と野菜を中心とした伝統的な日本食を、人間の理想食として推奨。特に未精白の穀物(玄米・玄麦など)の摂取を増やすことを提唱した。
◆一九九〇年、アメリカの国立ガン研究所は、ガン死を減らすことに役立つ野菜や香辛料約四十種類を『デザイナーフーズ』として発表。ニンニク、大豆、ニンジン、玄米、海藻、きのこなど、おなじみの野菜を軒並み上位にランクした。
◆一日に五皿の野菜を食べようという「ファイブ・ア・デイ」運動を推進した結果、野菜の消費量は二十%増加、それにともなって、ガン死亡率の低下が続いている。
◆アメリカではすでに、牛乳や乳製品の反省期に入り、小児科医の多くは、低脂肪のスキムミルでさえ、コップ一杯以上は飲まない方がいいと考えているという。

 一九九〇年、私はガンになった。 
 「ガンの原因なんか分からない」 
 その頃はまだ、そう言って恥じない医者が多かった。
 が、その彼らも今では、「原因の三十〜三十五%は、食事にある」と認めるまでになってきた。
 しかも最近、国立ガンセンター名誉総長の末舛恵一氏は、ある講演会で次のように述べている。
 「抗ガン剤や放射線は、副作用や免疫力低下が難点、食事改善を含めた、他の選択肢を考えるべきだ」
 時代は、確実に変化している。
 患者には抗ガン剤を使用する医者が、自らガンになれば、まったく使わない例を、私は複数知っている。 同じように、「玄米でガンが治るなら、医者は要らない」と豪語している医者たちが、こぞって玄米を食べる日も近いかもしれない。
 事実、複数の現役の医者が、素人であるこの私のもとに、「玄米菜食で治したい」と言って、相談にきたことがある。
 あくまでも、こっそりとではあるけれど・・・。


posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 07:46| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』

2017年01月08日

「治る理由を積み上げる」


ウェラー・ザン・ ウェルへの道 第4回
治る理由を積み上げる
川竹 文夫(NPO法人ガンの患者学研究所代表)

〜『いのちの田圃(たんぼ)』4号より〜


T 治療の側面から

 最近、世界的に著名なある医者が、次のように言っていると聞いた。
 「結局、治る患者と治らない患者がいるだけだ」
 つまり、ある人は治り、ある人は何故治らないのか、その理由が分からないというのである。
 「深い言葉ですよね」
 この話を私に教えてくれた人は、しきりに感心するばかり。実は彼も医者なのだ。
 だが、私は実に腹立たしかった。 理由が分からないなどと言われれば、患者は何をどうすればいいのだろう。何を信じて、どの道を歩めばいいというのか。治る理由、治らない理由がはっきりしていてこそ、少なくともそう思えればこそ、患者は頑張ることが出来るのではないか。軌道修正も、初めて可能になる。
 一度は悲嘆にくれ、あきらめに傾きつつも、「よし、それならばもう一度やり直してみよう」と自らに言い聞かせ、希望の歩みを再開することが出来るのだ。
 だから私はあえて、〈治らない理由〉 をここに書く。逆を行なえば、それはそのまま、治る理由を積み上げることになるからだ。

理由@ 治ったと思う錯覚

再発防止のモデル図.jpg










『再発予防のモデル図』を見てほしい。実線は免疫機能を、そして破線は、ガン細胞が増えていく様子を表している。
 ガン細胞は誰にでも例外なく、毎日何個かは必ず出来ているが、免疫機能が正常に働いていれば、健康を損ねる程には決して増えない。生まれたガン細胞を見付け次第に滅ぼしてしまうからだ。
 ところが、誤った生活習慣によって、免疫機能が実線 のように衰えた場合、それにつれてガン細胞は破線@のように増殖してくる。そして五〜十oの大きさになれば(×1印)検査によって発見される。
 そして大抵はまず、三大療法による治療が開始される。
 その結果、ガンは、破線Aのように再び小さくなり、あるいは限りなくゼロに近付く。そして一応の治療は終わり、やがて退院となる。
 だが、本当の治療は実はここから始まると考えるべきなのだ。
 何故なら、ここまでの治療は、単にガン細胞の固まりという 結果 を取り除いただけ。 原因 には、何ら手を付けていない(三月号『ガンの原因と結果の図』参照)。応急処置なのだ。と、どうなるか。
 破線Aのように、ガンの固まりはなくなった、が、手術や抗ガン剤などの治療のダメージによって、免疫機能は、実線 のように落ちてしまっている。
 つまり、ガンが再び増殖しやすい状態になっているのだ。そのとき、退院したからといって油断し、元の生活に戻るなら、免疫は実線 のように低迷。それに伴って、やがて再び、ガンは破線Cのように増殖し、いつしか×2にまで達してしまう。それが再発である。
 では再発防止のために西洋医学の医師たちは何をするか。「念のため」という理由で、経口の(飲む)抗ガン剤を処方する。しかし抗ガン剤は、間違いなく免疫機能を低下させる。経口の抗ガン剤は、通常のそれに比べ副作用は少ない。しかし、抗ガン剤である以上必ず、免疫低下は避けられない。少なくとも、免疫が上がることは、ない。
 とすれば、患者のなすべきことは、一つ。『ガンの原因と結果の図』の海面から下を自らの努力によって徹底的に改め、手術や抗ガン剤で低下した免疫機能を、実線 のように再び持ち上げてやることだ。さまざまな代替療法を利用するのも、もちろんいい。すると、ガン細胞の数は、破線Cのように、少ないままで保たれ、やがて完全治癒が訪れる。
 病院の治療の終わりこそ、再発予防に向けた本格的な治療を始めるとき。根本治療のときなのだ。そこを間違っては、治らない理由ばかりを積み上げてしまう。

理由A 「効くという」誤解
  「あなたのガンには、抗ガン剤が効きますよ」
 医師からこう言われれば、治療後は、二十年も三十年も健康に過ごせるものと、誰しも思う。だがこれは、まったくの誤解だ。『抗ガン剤認可の基準図』を見てほしい。抗ガン剤を薬として認可する際の国の基準は、驚くなかれ、『有効率二十%』なのだ。つまり、効くのは十人中、わずかに二人。残りの八人は、初めから効かないと分かっているのに、苦しい副作用を味わわされていることになる。
 さらに問題なのは、「有効」の中身である。仮に直径二pのガンがあった場合、それが半分の一pに縮んだ状態が、わずかに四週間続けば、その治療は「有効」と判断されるというのである。
 苦しい治療に耐え、幸運な二十%に入ったとしても、こんな程度。我々患者がイメージする世界とは、およそかけ離れているのだ。
 この事実を知った上で、抗ガン剤治療を受けている人は、きわめて少ない。
抗ガン剤認可の基準.jpg











U 心構えの側面から

 「これ以上何をすればいいのか、分かりません」
 一週間前の月曜日、こんなメールがあった。眠れない夜を耐えたのだろう、送信は早朝三時すぎである。 再発と手術を三回繰り返し、ようやく三大療法一辺倒に見切りをつけた人らしい。
 「行くたびに、落ち込むことしか言ってくれない。しかも、パソコンの画面を見るだけで、私の顔など一度も見ない」
 そんな大学病院にようやく別れをつげ、今は、健康食品を主体にした代替療法のクリニックに通いながら、枇杷葉の温灸などのさまざまな自然療法を併用、食事も玄米菜食に改めている。
 ところが病状は、徐々に悪化さえしていると嘆くのである。
 「新しい道に切り替えたのに、この先何をしろと言うのでしょうか」
 だが私は、いつもの言葉を繰り返さずにはいられない。
 治るには、理由がある。治らないにも、それなりの理由がある 
 経過が思わしくない人に対して、この言葉は、いささか厳しすぎるかもしれない。しかし、治ってもらいたい一心で、あえて以下に書く。

理由B 勉強不足
◆玄米菜食を始めたのはいいが、その種の料理本を一冊も読まず、聞きかじりの知識だけですましている。もちろん料理教室も行かないから、献立も限られている。
 こんな人に限って、玄米はまずい、私には合わないなどと言う。論外と言う他ない。
◆メールの人もそうだったが、セミナーにも一〜二度しか来ない。分かっていない人ほど、一度で分かった気になるものだ。先輩の体験談も聞ける絶好の場であるのに・・・。繰り返し参加する人の多くは、確実に良くなってきている。

理由C 依存から抜け出せない
◆病院や治療は、治すための決定的な要素ではない。私は、三大療法一辺倒ではなく、代替療法をすすめてはいるが、これとて、もちろんすべてを解決してくれるわけではない。 『ガンの原因と結果の図』にある三つの原因に完全に対応できるのは、患者本人しかいないのだ。
◆治療は、あくまでも補助。完全治癒を目指して坂道を上るあなたの、背中を押してくれたり、重い荷物を一つ持ってくれたり・・・そういう存在にすぎないのである。

理由D 言い訳が多い
◆良くなった人と自分とを比較し、自分の条件の悪いところばかりを探して、行動しない人がいる。
 例えば・・・あの人は私より若い。私ほど進んでいなかった。家庭環境に恵まれている。経済的にも余裕がある。独身なので自分のことだけ考えていられる(その人がたった一人で頑張らねばならなかったことに気づいていない)。いい病院に巡り合った(その人も大変な苦労の末だったことなど想像もしない)。

理由E 取り組みが甘い
◆「良さそうな病院はどこも皆、遠くて行けない」などと言う。
 だが、良くなる人は関西から東京へ、北海道から四国へ、どこにでも行く。奥さんのためにご主人が会社を辞め、病院近くにアパートを借りてパートで頑張っている例もある。近くに理想的な病院があることはまれだ、ぐらいに思った方がいい。
◆手当てのやり方が不十分。
 メールの人もそうだったが、枇杷葉の温灸をやっているといっても、一日一時間程度。これでは足りない。これに賭けるなら、徹底的に五時間でも六時間でもやる迫力がほしい。やりすぎると疲れる? そうかもしれない。ならば、疲れたら寝る、起きてまたやる。家族が三交替でやり続け、末期ガンを治した人もいる。この迫力があればこそだ。
◆覚悟が足りない。
 玄米菜食を始めたばかりなのに、肉は月に何回くらいならいいだろうとか、たまには甘いものもいいのではないか、などと言う。我慢はストレスになるのでかえって悪いのでは、などとも。やり過ぎを心配する前に、まず徹底してやってみることだ。

理由F 一点主義
◆ガンは生活全般、心と体の全体に関わるいくつもの原因が絡み合って出来たもの。治すためには多くの原因に対応した、さまざまな治療や手当て、養生が必要になる。
 ガン治療に百%はない。どこまで治る確率をあげられるかが勝負。健康食品だけ、玄米だけ、心の転換だけ、病院の治療だけという一点主義では、成功の確率は落ちる。
◆「これさえ飲んでいれば、他に何もしなくていい」などという健康食品の業者には要注意。中には、それだけで治った人も事実いるだろう。しかし、『一点』にすがるのは得策ではない。 

理由G ご都合主義
 せっかく本やセミナーで勉強しても、自分の都合のいいことしか取り入れない人がいる。例えば、心のことには関心があるが、食事は無視する。逆に食事には熱中するが、心や生活態度を振り返ろうとしない人など。こんなご都合主義では、うまくいく確率は落ちる。健康食品を飲む一方、酒や煙草を止めないのは、その悪しき典型。

理由H 取り引きをする
◆「効くという保証、治るという保証があるならやってみたい」と言う人がいる。そんな保証は神様にしか出来ない。乱暴に聞こえるかもしれないが、結局のところ、やってみなければ分からないのだ。それに賭ける迫力もなく、やってみもしないで、取り引きが先行するような腰の引けた態度では、何をやっても効果は落ちるだろう。

理由I 優先順位の誤り
◆いのちの瀬戸際にいるのに、まだ仕事や金や世間体にこだわっている人がいる。すべて捨てろなどと偉そうなことは言えないが、優先順位ははっきりさせること。長い人生のうち、この半年、この一年は、何が最も大切か、しっかり心に確かめること。あれもこれもはありえない。

理由J 人と比べる
◆うまくいっている人と我が身を比べ、焦って自信をなくする人がいる。だが、言うまでもなく、人間は一人一人違う。比較をするなら、過去の自分とだ。半年前より体調がいい。一ヵ月前より痛みがやわらいだ。その実感がすべて。

理由K 賭ける気持ちがない
◆健康食品や代替療法の病院と付き合うには、二つの要点がある。選ぶときには勉強を重ねて慎重に。選び取ったら、しばらくはそれを信じて賭ける気持ちが大切。いつまでも、右往左往するのはいけない。

理由L 特別な治療法に期待する
◆自然治癒の人や末期から生還した人たちは、決して特別な治療をしたわけではない。『ガンの原因と結果の図』の海面から下を、コツコツと地道に改めただけ。つまり、やったことはごく普通。普通のことを、普通より少し、徹底しただけ。
 出来ることを根気よく、日々毎日、営々と、だ。



 「治らない理由は、あなたにある」 こう書くことには、ためらいもあった。必ず、気色ばむ人がいるだろうからである。
 しかしもし、あなたが本当に治りたいのなら、そして、戦い続ける意志さえあるのなら、「理由などない」と突き放されるより、よほど前向きになれるはずだと信じている。
 やるだけのこと、やるべきことを、今こそ徹底的にやり抜こう。
 何をやるか よりも どの程度 
 どんな気持ちで やるのか、その方がもっと大事なことなのだ。それが出来たという確信さえあれば、結果はきっと、ついてくる。
 治るか治らないかを心配するより、治すのに十分なことをしているかどうかを、問い直そう。
 そしてもし不足に気付くことがあるなら、すぐ様、行動に移るのだ。 治ると信じ、治してみせると決意を新たに・・・。

 ガンは治る。再発転移はもちろん、医師から見放された末期ガンも、やはり治る。
 この私の信念が事実であることを、今度は、他ならぬあなたが証明してほしい。



posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 22:01| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』

2016年12月23日

責任を取れば 未来が開ける


ウェラー・ザン・ ウェルへの道
責任を取れば、未来が開ける
川竹 文夫(NPO法人ガンの患者学研究所代表)


ガンを契機に、真に価値ある人生を創造する・・・ウェラー・ザン・ウェル患者学の確立を目指す大型連載。
〜月刊『いのちの田圃(たんぼ)』第3号より〜

「どうしても、自分に原因なんか思いあたらんのですけどね・・・責任を取れと言われても」
 憤懣やる方ないといった様子で、初老の男性が、語りかけてきたことがある。
 自分は決して悪くない  ガンになったのは、何か運の悪い偶然
 ガンになって間もない人たちは、こう考えがちである。いやしばしば、こう思いたがる。
 ましてや、責任を取れなどと言われては、傷口に塩をすり込まれているような気にもなるのだろう。
 だが、完全治癒を望むなら、責任を取ることは、絶対に避けて通れない。しかも、最初は辛くとも、いったん『自分の責任』を認めてしまうと、不思議なほど、すべてが良いほうに向かって進み始める。
 治療がうまくゆくことはもちろん、やがては、ガンになったことを感謝するほどまで、心身共に健康で幸せになることが出来るのである。
 何故か・・・。
 まずは、私自身の経験から、その秘密を解き明かしてみよう。

誰が石ころを投げたのか

 今でも、ありありと思い浮かべることが出来る・・・ガンだと知らされたあの瞬間、私の脳裏には、次のようなイメージが、不気味なほど鮮明に浮かんできた。

 快晴の休日。私は、下駄をつっかけ、上機嫌で土手道を散歩している。川面を渡ってくる緑の風は、自然に鼻歌の一つも誘うほど心地よい。
 が、そのときである。
 突然どこからともなく、握りこぶしほどもある石が私の頭を直撃し、見る見る吹き出した血は、顔を伝って、乾いた土に落ちてゆく。
 一体、何が起こったのか? 私は何故、こんな目にあわねばならないのか! 原因は・・・まったく見当もつかない。これは何かの、間の悪い偶然に違いない。きっと、そうだ。それにしても、一体誰が、この石を投げたのか? 

 このときの私にとって、ガンという病気は どこからともなく  何の理由もなく そして ある日突然 襲いかかってくる、原因不明のアクシデント、正体不明の怪物のようなものであったのである。
 しかし、日がたつにつれ、私は次のように考え始めていた。
 もしそうなら・・・ガン発病が原因不明の出来事だとしたら・・・気まぐれに襲いかかってくる偶然の出来事であるなら・・・私には、まったく防ぎようがない。
 そいつは、不意に、もう一度やってくるかもしれない。つまり再発である。しかし、運悪くそうなったとしても、そのときも私には、何もできないだろう。何しろ、それは原因不明、偶然の出来事なのだから。
 しかも、主治医は言った。
 「ガンの原因は分からない。だから、再発を防ぐ方法も・・・」
 私は人知れず、恐怖に震えた。
 自分の力のまったく及ばない対象が、無性に恐かったのである。
 が、ふとしたことから、私は徐々に『自分の責任』を認め始めた。

今までの生活でいいなら何故?

 手術の傷も癒え始めたある日、主治医は誇らしげに私に言った。
 「川竹さんの場合、腎臓そっくり取っちゃったから、もうガンはないし、だから体力さえ回復したら、元どおりの生活に戻れますよ」
 当時私は、三人の医師に相談をしていたが、全員がまるで判で捺したように同じ言葉を繰り返し、温かく励ましてくれた。
 これでまた、仕事もバリバリ出来る。酒だって、無茶な飲み方さえしなければ・・・こんなにありがたく、嬉しい言葉はなかった・・・しばらくの間は。
 しかし、いつのころからか、私は次第に医師たちのその言葉に疑問を感じ始めていた。
 本当に、今までどおりの生活に戻っていいのなら、つまり、今までの生活で良かったのなら、では、私は何故、ガンになったのだろう。
 ものごとはすべて因果関係で成り立っている。必ずなんらかの 原因 があり、それに見合った特定の 結果 が生まれる。つまり、ガンという 結果 が生じるには、それなりの 原因 があるはずなのだ。
広島や長崎で被爆した方たちがガンになった場合、それは原爆の放射線が原因と考えられるだろう。
 チェルノブイリ周辺住民にガンが多発するのは、原発事故による被曝が原因。戦場で大量の毒ガスを浴び、ガンになった兵士たちもいる。
 彼らのガンの原因は、ある日突然
 外 から、全く理不尽に、もたらされた。
 では、私の場合はどうか。
 原因は明らかに 内 に求めるしかない。つまり私自身が、自分でガンの原因を作ったと考えるしかなかったのである。
 ガンは、ある日突然、何の理由もなく飛んできた石ころのようなものではない。 不運な偶然 などでは、決してない。
 それは、 私の何か が、 必然的に 作り出したものなのだ。
 石ころを投げたのは、他ならぬ、この私自身だったのではないか。
 無理にも、そう考えてみたのである。すると、『責任を取ること』には、当初は予想もしなかったさまざまな利点があることが明らかになってきたのである。

利点@ 恐怖心が薄れる
 
◆自分の 何か が原因でガンになったのなら、それを改めれば、ガンは治る。つまり、自分で作ったものなら、自分で治すことが出来る。
 発病という、間違った場所に迷いこんでしまったのなら、今度は、来た道を逆にたどっていけば、もとの場所に戻ることくらいは必ず出来る。それが、 治癒 である。
 そう考えれば、ガンをむやみに恐怖する必要は、どこにもないことに気づく。
◆ガン患者は、ガンそのものと戦う以上に、ガンの暗い恐怖のイメージと戦わねばならない。精神神経免疫学から見て、とても不利な状況である。だから、何はさておいても、この恐怖感をやわらげることが治癒への第一歩。責任を取れば、この第一関門を突破出来るのだ。

利点A 具体的対策が立てられる

◆私は、ガンの原因を大きく三つに整理してみた。それが、患者という一個の存在を氷山に模した『ガンの原因と結果の図』である。この図をメモ用紙に描き終えたとき、私は大きな安心感と希望を持った。ともかく海面から下を、一つ一つ、改めていきさえすれば大丈夫。そう思った。
 ライフスタイル・・・最低週に一日は休む。定期的な運動(私の場合は、バドミントンと筋力トレーニング)をする。十時就寝、五時起床。
 食事・・・肉食中心から、玄米菜食への一大転換。肉はもちろん、卵、牛乳、乳製品の一切を止めた。
 心・・・人の期待に応えるのを止めた。自らに課したハードルを低く設定しなおした。いざとなれば、すべてを投げ出す覚悟を決めた。瞑想、気功、イメージ療法をやる。
 最初は、この程度の大雑把なものであったと思う。が、これでも、やるべきことを具体的に把握出来て、闘志がわいてきた。

ガンの原因と結果の図.jpg













利点B 自分を上手にいたわれる

◆ガンになる人の多くは頑張りすぎ。心にも体にも無理を重ねる癖がついている。私もそうであったが、ガンと知ったとき「ああ、これで休むことが出来る」とほっとする人が多い。これは、「休め」というガンからのメッセージである。原因を知り、責任を取ることで、ガンを水戸黄門の印篭のように上手に利用し、しばらくは、自分を思い切り甘やかしてやるのもいい。

利点C ストレス対処が上達

◆「間違ったライフスタイルや食事を選んだのは自分。でもストレスは避けようがない。それも自分に責任があるのか?」
 こういう質問をしばしば受ける。が、やはり、責任は自分にある。
 次頁の『ストレスの図』を見てほしい。通常、何かいやなこと、不快なことがあれば、それがそのままストレスになると思いがちだ。
 が、事実は違う。何故なら人間には、解釈するという能力がある。起こった出来事に、独自の解釈を加え、新しい意味を発見することが出来る。すると、いやな出来事も、喜びや希望にさえつながる。
 勤め先の倒産やクビ、離婚などは、大事件に違いない。だが、自分の能力を試す絶好のチャンス、新しい人生の始まりととらえれば、却って喜ばしいことかもしれない。ストレスと感じるのも、希望を見いだすのも、その人次第なのだ。
 現代社会では、ストレスを避けることは不可能。とすれば、自らに責任を取り、この技術を身につけるしかないだろう。

ストレス対処の図.jpg












利点D 再発防止の自信がつく

◆原因を取り除く治療は、そのまま再発予防につながる。患者さんの多くが、再発防止に何をやればいいのか知らない。三大療法の医者は、逆効果になる抗ガン剤しか知らない。
 だから患者はいつも再発を恐れていながら、何の手も講じようとしない。甚だしきは、肺ガン患者が喫煙を続けていたりする。
◆だが、責任を取る人は、一歩一歩、着実に前進し、再発防止への自信は次第に高まっていく。そのことがまた、氷山の海面下を一層徹底的に改めようとの意欲につながり・・・体と心がそれに応え・・・理想的な循環が起こる。治療は予防、予防は最良の治療。そうなれば、しめたものである。

利点E 医者任せから脱却出来る

◆自分で責任を取れるということは、自分の運命を自分でコントロール出来るということ。
◆多くの患者は、ガンともなれば、自らの力では何も出来ないと思い込んでいる。そのことが自尊心の傷つきと、自信喪失を生み、その無力感がまた、免疫を下げるという結果を招きやすい。
◆責任を取る前の私はいつも「先生よろしくお願いいたします」と、弱々しくつぶやくしか能がなかった。この言葉の裏には、「先生だけが頼りです」という意味が隠れていた。
 昨日まで、名前も顔も知らなかった人物に、たかだか数センチのイボのようなものが出来たとたん、生命をあずけてしまったのは、何とも情けなかった。責任を取れば、そんな無力感から脱することが出来る。
◆『ガンの原因と結果の図』をもう一度見てほしい。原因の部分に、『患者の領域』と私は書いた。原因を取り除く作業は、医者ではなく、患者にしか出来ない。つまり、ガンを本当の意味で治せるのは、患者自身でしかないからである。

利点F まさかの時、対応出来る

◆「再発したら、〇〇先生にまた切ってもらう。それで駄目なら、ホスピスで痛みを止めてもらって」
 この人は、ガンは医者にしか治せないと思い込んでいる。だから医者から見放されることは、即、諦めに通じてしまう。
◆だが、責任を取ってきた人であれば、仮に、医者から見放されたとしても、自分で治す知恵と勇気、そして何よりも具体的な行動力を備えているはずだ。自然退縮の多くは、そうした人たちに起こっている。

利点G 創造的な治療が出来る


◆「頑張って治します」と宣言しても、三大療法では、多くの場合、患者はただベッドの上で苦しい治療にじっと耐えるだけ。受け身の存在。
◆だが、責任を取り、自らの力で原因を一つ一つ取り除いてゆく作業は、新しい価値観と新しい人生を築き上げるという、実に創造的な営みなのである。
 耐えるだけの治療から、創造する治療への一大転換。明るい未来は、ここから開けてくる。

利点H 健康のステップアップ
 健康でなければ病気。病気でなければ健康。両者は、互いにつながりのないまったくの別世界であり、病む人たちは、「もとの健康な状態に戻りたい」と願っている。それが一般的な健康観である。
◆だが、上の『健康のハシゴの図』を見てほしい。ここでは、健康も病気も同じ一つのつながった世界として、とらえられている。健康にはいくつものレベルがあり、ハシゴ段の最も下の段、つまり健康度のもっとも低い状態が病気だと考えるのである。
 これは、東洋に古くから伝わる健康観である。
 そして人は、その人生において、常に、この健康のハシゴをのぼったり降りたりしている。
◆さてこの図に、一般的な健康観を当てはめてみるとどうなるか。
 例えば私の場合。ガンになった時点で最下段にいたが、とりあえず手術によってガンを取り除き治療は終わった。その後、退院後は徐々に体力を回復し、やがて元の健康な状態に戻ったわけである。
 しかし、それは決して、ハシゴ段の上の方ではない。せいぜいが、下から二段目のレベルなのである。
 何故か・・・。三大療法によってガンは取り除いても、原因にはまったく手をつけていないからである。◆その段の『未病』という文字に注目してほしい。これは、今は未だ明確な病気はないが、いくつもの不調を抱え、いつ本格的な病気になっても不思議でない状態を指す。
 ひどい肩凝りや頭痛。常習的な下痢や便秘。冷え性。動悸、息切れ、めまい。高血圧。高血糖・・・。
 中高年のほとんどがこの内のいくつかの不調を抱えているだろう。
 高血糖を除き、これはまさしく、私がガンになる以前の状態である。 つまり十年前の私は、とりあえず元の、きわめて健康のレベルの低い状態に戻っただけであった。
◆しかし今の私は、間違いなく、数段上のレベルにいる。快食、快眠、快便。筋力も、スタミナも、成人後では最高だと確信している。
 ガンの原因は、自分の誤った生活習慣にある。その一つ一つを、気長に取り除いていった結果である。
◆末期ガンになりながらも、私などより、さらに数段上のレベルの人たちがいる。絶望の深さに反比例するかのような、彼らの跳躍力を見るとき、『責任を取る』ことの素晴らしさを、強く確信するのである。

健康のハシゴの図.jpg










 ガンは自分で作ったもの。まず、その事実を素直に受け入れよう。
 ガンになったのは、ついていなかったからではない。運が悪かったからでもない。もちろん何かの偶然でもない。すべて必然。私はいつもこう繰り返す。
 自分を誤魔化して逃げるのは止めよう。少しでも早く適切な対策を立て、一日も早く、完全治癒を手に入れる・・・責任を取るのは、その第一歩なのだ。
 人は、たとえどんな絶望的な状況からでも、自分を好ましく変えていくことが出来る。
 責任を取ることを決意し、すぐさま行動を起こすなら、あなたは運命と人生を、再び自分の手に取り戻すことが出来るだろう。そしてその先には、ウェラー・ザン・ウェルへの道が、真っすぐに開かれてくるのである。

posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 05:40| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』

2016年11月20日

パニックを越えると、希望が見える


ウェラー・ザン・ウェルへの道 第二回 「パニックを越えると、希望が見える」
                     川竹 文夫(NPO法人ガンの患者学研究所代表)

ガンを契機に、真に価値ある人生を創造する・・・ウェラー・ザン・ウェル患者学の確立を目指す大型連載。
〜月刊『いのちの田圃(たんぼ)』第2号より〜


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 ガンと知った瞬間から、多くの人たちは、パニックに陥る。
 はた目には冷静に見える場合も、いきなり突き付けられた死の恐怖に、正常な判断力をほとんど失わされているのである。
 にもかかわらず、まさにその真っ只中で、命のかかった治療方針が決定され、治療が始まり・・・そして気がつけば、すでに大切な臓器を失い、あるいは、抗ガン剤の副作用に苦しむ自分を、ベッドの上に発見する。そしてここから、さまざまな問題が生じてくるのである。
 例えば、私の場合。
「放っておくと脳に来るよ」
 告知の瞬間からパニックに陥っていた私は、主治医の一言に背中を押されるように、大慌てで手術を受け、腎臓を一つ失ってしまった。
 今にして思う。
『パニックの中で下した、当時の私の判断』は、間違いだったと。
 では、今の私ならどうするか。
 ガンは、早期であった。だから今なら・・・断じて、大慌てで切ったりはしない。休養と運動を大幅に取り入れ、食事を玄米菜食に改め、ストレスを軽減する。びわ葉温灸やコンニャク湿布などの自然療法を毎日欠かさず、健康食品も試すだろう。 そうすれば、「脳に来る」どころか、それだけで、ガンは消失する可能性は十分あると信じるからだ。
 だがもし期待に反して大きくなる一方であれば、その時点で初めて、最小限の手術を考えるかもしれない。
 無論その時でも、抗ガン剤は、明確に拒否するが・・・。

 では、当時の私が今と同じ判断を下すには、一体どうすれば良かったのか。
 答えは一つ。パニックをやわらげることである。それさえ出来ていれば・・・。そう断言するだけの、根拠と自信が、私にはある。
 当時の主治医は手術後、再発防止のために、二年間のインターフェロン投与を勧めた。
 だがそのころ、当初のパニックから徐々に覚め始めていた私は、インターフェロンはほとんど効果がないという知識をもとに、わずか十日ほどで中止した(その知識は、病室を無断で抜け出し、書店で立ち読みした本から得た)。
 その後、インターフェロンの副作用から鬱病になり、自殺する人が相次いでいるという新聞報道を知って、私は確信した。あの時、冷静に下した私の判断は、非常に正しかったのだと。
 やはり、大切なことは、とりも直さず、パニックをやわらげることなのだ。では、どうやって・・・。


対処法@ とにかく時間を稼ぐ

◆医師から返事を迫られたら、家族や親戚と相談したいと言って、結論をのばす。
◆ガンは、命をおびやかすほど、急激に大きくなることは、ない。 
◆「どうしてこんなになるまで放っておいた!」などと脅されても、絶対に慌てて治療を始めてしまわないこと。
◆一万人を超す手術を経験し、今は切らずに治す町秀夫医師の言葉。
「今日まで生きてきて、食事をしたり歩いたりしている人が、急にガンで死ぬなんてことはありえない」

対処法A 必ず治すと決意する

◆イギリスの科学雑誌『ランセット』に興味深いデータがある。早期の乳ガン患者五十七人を、告知後の心理状態によって四つのグループに分けた。
 (A)無力感、絶望感にとらわれた人たち。(B)自分では何もしようとしない消極的な人たち。(C)何といわれても、自分がガンであることを認めない人たち。(D)ファイティング・スピリットを持ち、治してみせると闘志を燃やした人たち。
 十年後、各グループの生存率を比較すると・・・(A)の生存率二十%に対し、(D)は七十%。気持ち一つで、実に三倍以上もの開きがあった。


対処法B 希望を育てる

◆治った人を探す。各地の患者グループには、必ず治った人がいる。その人たちに直接会って話を聞くのがもっとも効果的。
◆「あの人は治った、だから私も必ず治る」。自分にこう言い聞かせること。それも、徹底的にだ。
◆体験者や医者に「あなたは治る」と言ってもらう。セミナーでの私の最大の役割の一つはこれだと思っているくらい、効果絶大。 
◆治った人が登場する本を集めて繰り返し読む。健康食品を売らんがために書かれたような本、例えば『ガン消滅! 〇〇人の奇跡』というようなものであってもだ。懐疑心を持つより、素直に信じたほうが、心が落ち着く。

対処法C 医者の恐怖心に注意

◆医者ほどガンを恐がっている人たちはいない。彼らがガンになれば、仲間は嘘の告知をするのが、その証拠。「私にだけは本当のことを言ってくれ」と念を押しても、病期の軽い、別人の標本を見せて安心させたりする。
◆彼らがガンを恐がるのは、自分たちの治療で治らなかった患者をたくさん見ているから。
 転移を恐れ、病巣周辺の臓器やガンのないリンパ節まで取ってしまう拡大手術などには、彼らの恐怖心が如実に見て取れる。
◆悲観的なことばかり言う医者とは、即刻、サヨナラをするべし。パニックは深まるばかりだし、免疫も落ちるからだ。


対処法D 自助退縮(自然退縮)を知る

◆何の治療もしていないにもかかわらず、医師から見放された末期ガンでさえ、自然に治ってしまう、それが『ガンの自助退縮(自然退縮)』。治る理由は、ガンの原因を徹底的に取り除いたから(前号『ガンの原因と結果』の図参照)。不規則で過労になりがちな生活を改め、食事を玄米菜食にする。怒りや恨みを捨て、人を愛し、自分を許し、小さなことにも喜びを見いだす・・・。患者自身のそうした努力の積み重ねによって、自然治癒力(免疫力)が回復、ついには末期ガンをも治してしまうのだ。
◆ガンを治すには、医者にすがるしか生きるすべがないと思いがち。だからこそパニックにもなる。だが、自助退縮(自然退縮)の存在は、どのようなガンも患者自らの努力で治せるという最大の証拠を示してくれている。

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対処法E 仕切り直しをする

◆再発や転移をした時、これまでの治療への不信感や失望からパニックになりやすい。しかし、再発するには必ず自分にも、それなりの理由がある。辛いことだが、そこを徹底的に見つめると落ち着く。


対処法F 自分で治す迫力を持つ 

◆ 出たら切る。切れなければ抗ガン剤をやる という安易な医者任せから脱し、「自分で治す」という覚悟と気力を持つこと。


対処法G 代替療法を知る

◆代替療法とは、現代西洋医学の欠点を補い、それに替えることの出来る治療法のこと。食事療法、心理療法、漢方や中国医学、健康食品によるもの、温熱療法、あるいは自然療法などの民間療法を指す。つまり、治す方法はいくらでもあるということ。そう思うだけでも、心は軽くなるはず。
◆代替療法に対して、懐疑的な人もいる。しかし、ガンに特効薬が無い以上、選択肢はたくさん持っているほうが有利に決まっている。要するに治ればいいのだから。しかも大抵の代替療法は、体に優しい。


対処法H 余命宣告を蹴飛ばす

◆余命宣告ほど当てにならないものはない。あくまでも、三大療法という非常に侵襲的な(体を痛めつけ、免疫を落とす)治療を続けた場合のデータをもとにしているからである。しかも三大療法は、ただ、ガンの固まりという 結果 を取り除くだけのもの。ニキビを手当たり次第につぶすのに等しい。ニキビですら、治すには、原因を取り除く必要があるというのにだ。
 そんな彼らが、もう治らないと宣告しても、それはあくまでも、三大療法しか知らない彼らには治せないと言っているだけ。「あなたのガンは治らない」という資格など、どこにもないのだ。「何もしなければあと〇ヵ月」と言う場合も同様である。
◆要するに余命宣告は、医者の傲慢と無神経と無知とを完璧に表わしているに過ぎない。
◆生きるか死ぬかは、自分が決める。寿命は、神様が決めること。


対処法I 家族がつれ戻す

◆いきなり末期だと言われた場合など、パニックどころか、奇妙に淡々としている人が時折いる。この場合、あまりのことに、すっかり諦めている可能性がある。
 親しい人への挨拶状を書き、仕事を整理し、日記をすべて焼き、ホスピスの予約を入れ・・・こんな時は、家族が何としても死の淵から引き戻さねばならない。そのためには、対処法のすべてを駆使してほしい。


対処法J どんな時にも遅すぎることはないと知る

◆本気になれば、そしてやり直す気にさえなれば、どんな時にも、今がもっとも早い時期、今が始まりである。「遅すぎた」と悔やんで諦めないかぎり、「本当に遅すぎる」ことは決して無い。まず落ち着こう。



 残念ながら、西洋医学の医師たちは、患者という一人の人間の全体を見ない。ましてや、将来の人生までは、とても。
 例えば、手術によって卵巣や乳房を失い、あるいは人工肛門になった患者が、その後どんな後遺症を抱え、精神的にどんな傷を負い、それが人生にどのような影を落としていくかなど、ほとんど想像が及ばない。「死ぬよりはいいだろう」という、乱暴極まりない言葉が今も生きているのが、何よりの証拠である。
 拡大手術や攻撃的な抗ガン剤投与が、患者の命を縮めることにも、医師の多くは無神経。つまり、限りなくガン細胞を取り除こうとする医師の選択が、患者の人生にとっても、最良の選択であることは、まれだ。いや、明確に相反することすらある。
 とすれば、患者は、自らの知恵と意志によって、自らの人生を守るほかはない。
 そしてそのためには、一刻も早くパニックから抜け出し、正常な判断力を取り戻すことが、何よりも重要になってくる。

 セミナー参加者の一人が、最近、ラジオ波焼灼術(開腹しないので体への負担がきわめて少ない)によって、肝臓のガンを取り除くことに成功した。
 それに先立つ約一年間、彼は、三大療法を拒否し、自然退縮を目指してきた。さまざまな要因から、それは諦めたが、この間じっくりとガンについての勉強を重ね、心を見つめ、人生を振り返り、そして、この選択にいたったのである。
 パニックの中で治療を決められるのではなく、あくまでも冷静に選びとる・・・その中で培われた自立心と自尊心は、闘病にとどまらず、今後の人生そのものにも、最良の影響を及ぼすに違いない。
 私は、固く、そう信じている。

川竹文夫・プロフィール
 元NHKディレクター。1990年、腎臓ガン発病をきっかけに、ガンの自然治癒の調査研究を開始。92年、NHKスペシャル「人間はなぜ治るのか」を制作。絶望から生還した人たちの力強く生き抜く姿は大きな感動を呼び、今も各地で上映会が繰り返されている。94年、「幸せはガンがくれた・心が治した12人の記録」出版(創元社)全国各地の病院の必読本となる。95年、ガンの患者学研究所設立。
タグ:自然療法
posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 06:16| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』