2016年07月30日

祝 世界遺産認定! 林 裕子さん

♡林 裕子さん 
【助けてくれた4人の友】


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 林 裕子さん
 2013年右腎ガン、肺の小細胞ガン転移、
 肝臓にも浸潤と診断され、右腎摘出手術。
 同年8月ガン患研に入会。
 入門合宿、心の免疫セミナー、
 手当実習会と続けて受講、しっかり学び
 と実践を積み重ねる。

柳澤 林さんは順調に学びを続けていらっしゃいますけれども、どなたかにサポートを受けてらっしゃいますか。
 はい、強力な4人の助っ人がいます。
柳澤 4人もいらっしゃるのですね。どんな方ですか。
 3人は私の友人です。お一人は、最初に私がガンになったことを告白した人です。玄米菜食の教室を開いている人で、すぐ10冊ほどの資料を送ってくれたんですが、その中にガン患研の本がありました。
柳澤 それが入会のきっかけだったんですね。
 二人目の方は、ガンだってことを告げたとき、私が素足だったのを見て次の日に、ご自身の洗いざらしの5本指靴下を持ってきたくださった。退院したときは、シーツ、上掛け、肌着、パジャマ、5本指靴下をごっそりとそれに冷え取り健康法の本も持ってきてくださり、その後も三日を開けずに見舞いにきてくださいました。
柳澤 すごくありがたいですね。
 3人目の方は、私が一番の親友と思っていた方で、なぜか不思議にガンになったことを言えなくて、一カ月半ぐらいして連絡したら、電話口で泣いてくれました。その方も10年前に乳ガンの廓清手術を受けていて、「私の知らない間に苦しい思いをしていたのね」って。そして一カ月に一回行きからってすぐに会いに来てくれました。私は自分が食べている食事を心を込めて用意して一緒に食べ、今どういうことをしているかなどを話したんです。今も来てくれています。
柳澤 素晴らしいお友達ですね。そして4人目は、ご主人だそうですね。
 そうなんですよ。私、田舎暮らしにあこがれて横浜から道志という山の中の村に移り住み、そこで主人と出会ったんです。だけどずっと田舎で腰が曲がるまで働きずめの姑にしたら、都会から来た私はほんとに悪魔に見えたかもしれません。姑からDVを受けるようになって、何かあるとはだしで裏口から逃げ出すのが日常茶飯。ボロボロに傷ついていたけど、主人が「あとのことはいいから」と言ってくれ、私は近くにあったもう一つの家に行って療養に専念しました。当時、食事療法で、大根、人参、山芋、納豆をたくさん食べていたんですが、主人が朝晩届けてくれたんです。
柳澤 そうでしたか…。
 実は私、今日(学会シンポジウム当日)みなさんの発表をお聞きして、すっごく大きな気づきをもらって、自分の気持ちが変わってきて…。
柳澤 えっ、なんでしょう。
 今まで姑の気持ちになって考えたことがなかってってことにたった今気づいたんです。自分がガンになったのは田舎ぐらしに慣れないせいだと思っていました。姑だけでなく周囲の人ともなかなかうまくいかなくて…。
柳澤 たいへんだったんですよね。
 でもよく考えると、うまくいかないのはずーっと小さい頃から。自分は変わっている人間で人に受け入れられない、親から否定されてばっかりで、いじけてました。で、余命6カ月と言われて、「いいや、もうこれで終わりだ」っていう気持もあったんです。けれど、夫が姑から逃がしてくれ、3人の友だちが次から次へきてくれて。
柳澤 そうですよね。
 それで、あっ、これは違うんだ。自分で勝手にひがんでいたけど、生きてていいんだと認めてもらえたんだって。私はほんとは自己主張がある人間なのに、嫌われないように隠そうとして、ずーっとおさえてたんです。姑はそれを気づかせてくれたんだって、初めて分かりました。
柳澤 すごいです。
 なので、4人の友じゃなくて、5人です(笑)。
(会場大きな拍手)
 今もこれ以上ないってぐらい幸せだけど、今日からいこじだった自分をもっと開放し、もっともっと幸せになります。
柳澤 ほんとに素晴らしいです。ところで、林さんは、昨年(2014年)ある検査を受けたそうですね。
 行政の無料の検診を受けました。肺にガンが残っていたんですけど、なにか異状があれば、一カ月以内にお知らせがあるはず。でもいまだに何の連絡もありません。
柳澤 ということは、自助退縮!
 その可能性があります。
柳澤・小林 おめでとうございます!
(拍手)
 
 『いのちの田圃(たんぼ)』176号より

posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 08:33| 治すガンバリ世界遺産

祝 世界遺産認定! 和田隆彦さん・松本宗太さん

♡和田隆彦さん・松本宗太さん
【愛のタオルしぼり器ぎゅっと♡君】



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 和田隆彦さん
 2006年前立腺ガン。
 手術を断る。
 毎朝、腹式呼吸をするときに、
 一年後の経営計画発表会で
 「全社員へガン完治の体験発表している自分」
 を想念し続けて、約1年後に自助(自然)退縮。

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 松本宗太さん
 2011年肺ガンUB、手術。
 社長の和田さんの勧めで手術前から
 玄米菜食を始め、退院後は奥さんの
 献身的なサポートで半身浴、
 全身生姜罨法などの自助療法に取組み、
 健康を回復。


 
柳澤 ガンを自助退縮されて、奥様ともラブラブ、幸せいっぱい、充実した生活で、私たちの憧れの太陽さん(『いのちの太陽たち』に登場した〈治ったさん〉)でいらっしゃる和田さん。ある日、部下の松本さんが相談にいらしたそうですね。
和田 コツコツと私の部屋のドアをノックして、入ってきましてね、私ガンを宣告されました。2カ月後に手術しますって言うんです。
松本 経営者であり、ガンを治した先輩である社長の和田に相談に行ったわけです。
柳澤 どんなアドバイスされたんですか。
和田 とにかくガンは絶対治るからなって言ったんですよ。そしたら、彼は、薄笑いを浮かべながら、「ここまで生きたんだからもういいです」って言うんですよ。会社の部下として、彼とは30数年一緒に歩んできた仲間です。絶対なんとか治ってほしかった。「愛する奥さんも、かわいい息子もいるだろう」と、励ましましてね。日頃、ガンを治した私の体験を話しているので、説明はくどくど言わない方がいいと、とにかく行動を促した。手術までの2カ月は大事だから、徹底的に食事を変えて、治癒力を高めるようにと言いました。そして、すぐに私の使っている圧力鍋と同じものを彼に贈りました。
松本 そこまで社長にしていただいて、やるっきゃない。妻に食事を変えるからと言って作ってもらったけど正直、おいしくない(笑)。それに100回噛めと言いますね。それまで私は食事に対して全く無頓着。ほとんど噛んでない、のどごしで、飲み物に近い(笑)。そんな食事がガンを作ったんですけど、当時は体重が73キロありました。それが玄米菜食であっというまに62キロです。
柳澤 食事の他には何を勧められたのですか。
松本 手当てをしっかりやれよって言われて、半身浴、呼吸法、それに全身生姜罨法をやりました。
私は術後一カ月間、力仕事をするなと言われていたので妻にやってもらったんですが、妻は三日目で力尽き、3枚目になるとちゃんとしぼれないので、「熱いっ」。まるで熱湯をかけられたよう(笑)。
柳澤 罨法用のタオルって、絞り方が足りないと熱いんですよね。それにすぐ冷める…。
松本 そうなんですよね。私が絞ってみたらとんでもなく力がいる。
手当ての先生に「力じゃないよ」としかられるかもしれないけど、初心者にはたいへんな作業だと分かって、文句を言えなくなったんです。それに、このたいへんなことをやってもらうというのは心苦しいんですね。だから「半身浴だけでいい」と言いましたら、普段は大人しい妻が「あんたは、横になってなさい」(笑)。
柳澤 奥様のお気持ち分かります!
松本 だけど、うしろめたくて気持ちよくないんですよ。気持ちよければ治るのも早いんだけど…、そう思いましてね。
柳澤 それで、和田さんにある提案をされたとか。
松本 社長の先先代からの、ものづくりの会社ですから、「社長、やってもらうのが心苦しい。ましてや自分でやっている人はもっとたいへん。続けるためになんとかタオル絞りを作れませんか」と。でも、こんな商売にならないようなもの、通常なら即却下ですよね。
和田 その頃、私の気持ちに変化がありまして、社長は後継者にゆずり、なんとか世の中に役に立ちたいと思ってた。で、よし、やっちゃおうって(笑)。といっても、利益にならないようなものだから、社内でいい顔をされないので、自分の部屋を開発室にしました。
柳澤 開発にどのくらいかかったんですか?
和田 熱を使いますから、特殊な樹脂を用いるなど苦心し、2年半ぐらいでだいたい形になりました。全身生姜罨法にはタオルを11枚使いますね。時間を計ってみたら、2分30秒で全部絞れました。
小林 早い!
柳澤 製品の名前も決まったんですね。
和田 最初、「フレンドシップ」とか考えていたんですけど、しっくりこない。そしたら、川竹代表が「ぎゅっと♡君」と名付けてくださった。「ぎゅっと」と、「君」の間にハートマークが入るんです。
柳澤 松本さんの、奥様への愛がぎゅっと詰まった「タオル絞り器」。素晴らしい世界遺産です!
(会場拍手)
 ※「全身生姜罨法」とは、古来伝えられてきた民間療法を、ガン患者さん向けに開発したものの一つ。熱い生姜汁に浸したタオルを全身にあてて、血流をよくし、身体から老廃物を出すのに効果がある。
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 『いのちの田圃(たんぼ)』176号より
posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 08:25| 治すガンバリ世界遺産

祝 世界遺産認定! 加藤 美恵子さん

♡加藤 美恵子さん
【『日めくりカレンダー』の言葉を実践】



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 加藤 美恵子さん
 2007年4月肺腺ガンT期。
 右肺中葉全摘手術を受ける。
 術後の後遺症である肋間神経痛に苦しむ。
 ガン患研と出会い生活習慣を180度転換し、
 持病まですべて改善。
 2013年6月見事〈治ったさん〉に。


小林 加藤さんは、ガン患研の手当て実習会の総監督として精力的にこれからさんを励まし続けてくださっています。では、加藤さんの世界遺産、たっぷりとお話いただきましょう。
加藤 心が一番大事って、川竹代表がおっしゃっていますね。心ってなんだろうって思いましてね。で、それまでも、『日めくりカレンダー』を、解説も含めて声を上げて読んではいたのですが、あまり頭に入ってなかったと思います。ある日、ふっと「正しさより幸せが大切」という言葉にじ〜んときました。
 私は自分が正しいんだと、そればかり呪文のように唱えて生きてきました。間違ったことをしていない、相手が間違っていると、自分にも厳しかったけれど人に対して厳しさを求めてイチイチ間違いを指摘するイヤな女でした(笑)。
小林 ええーっ、そんな。穏やかな加藤さんなのに…。
加藤 建築関係の仕事をしてきて男の人が多い職場だったので、「バカヤロー」って感じで(笑)。
小林 そ、そうだったんですか…。
加藤 このカレンダーの言葉を読んだとき、争いごとを自分が好んでやってきたんだなってことに気づいたんです。それで一日目から読みなおしたら、私の悪いところを全部列記しているんですね。それから、このカレンダー通り、一日一日を過ごしてみようと思いました。そうするとものすごく肩の荷が降りて、今までずいぶん意地を張って生きてきたなあってしみじみ思いました。目標ができ、励みにもなって、毎日楽しい。楽に生きられるようになりました。
小林 すごいなぁ〜。
加藤 今の私のモットーは、28日目の「単純明快に生きろ」。私は毎日、イエスかノーで暮らしています。何か頼まれていいなと思ったらハイ、嫌だったらイヤ(笑)。友人からよく、白か黒かじゃなく、灰色もあるのよっていわれますが、でも、私には灰色はないって言い切っています。
小林 すばらしい!
加藤 カレンダーが私の道しるべになり、自分の命以外失うものがないというのが、私の気楽さ。ガンになって心からよかったなって。ガンにならなかったら、私どうなっていたんだろう…。たぶんイヤな年寄りでブツブツ不平不満ばかりで、ひょっとしたらもう生きていないかも…。今がバラ色の人生です。
小林 ありがとうございました!
(会場拍手)
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 『いのちの田圃(たんぼ)』176号より
posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 07:36| 治すガンバリ世界遺産

祝 世界遺産認定! 栗本 眞紀子さん

♡栗本眞紀子さん
【90日ノート6冊、540日】



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 栗本眞紀子さん
 2009年年7月 腹膜ガンV期C
 腹膜に雑草のようにガンができている
 と言われ、手術不能。抗ガン剤治療。
 『いのちの田圃の会』の考えに衝撃を
 受け半身浴などやれることを即実行し、
 同年12月ガンが消える。
 実践を続けて2013年〈治ったさん〉に。


小林 栗本さんは、たくさんの〈治す世界遺産〉をお持ちですが、そのなかで90日ノートについてお話ください。
栗本 私は、自分がガンになった心のクセを変えなくちゃいけない、と強く思ったんです。それを90日ノートを使って挑戦しました。
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小林 書くことで心と身体が一体になる。自分の正体を90日ノートで見極めたかったとおっしゃっていますね。
栗本 私はとにかく根性がひんまがっていたんですよ。
小林 えー、そんなー!
栗本 自助(自然)退縮された方が、すごくかっこよくて、うらやましかったんです。ところが、みなさんがやられたすごい努力は、やりたくない…。(会場笑)
そういう人生観だったんです。これがガンを作ったのだってことが、セミナーやマインドマップとかでだんだん分かってきました。もう、これを変えるしかない。で、まずは『90日ノート』のルール通り書いていきました。
 でも、根性ひん曲がっているし、マイナス志向。それをプラス志向にしるんですから、苦労しました。だから、一冊目はうんうん、うなって書きました。けれど、やっていると面白くなってくるんですね。
小林 一冊、一冊テーマを持って書かれていますね。2冊目は『身体の声を聴く』ってテーマで、「ありがとう」を138回書かれたとか。
栗本 私はガンが見つかったとき手術も出来ないし、非常に危険な状態だったんです。あとになって、身体がなんてすごく頑張ってくれたんだろうって、感動したんです。身体にたいするお礼です。
小林 3冊目は『列島縦断講演会のパンフレットの配布で学んだこと』だとか。
栗本 きっかけは、がんセンターの待合室。みなさんじーっと前を見て、一言もしゃべらず、じっと待ってらっしゃる。その姿を見て、自分だけこんなに元気でいいのかなって…。なんとかこの人たちにパンフレットを渡したいって思って、そのことについて書きました。
小林 すごいですね。そして、4冊目は『掃除による、心の整理』。
栗本 過去の、どうしてこんなことをするんだろう、やらなかったらよかったのに、ってことを、イヤだけど思い出して整理していったんです。過去を思い出すと、落ち込みますよね。そういうとき、掃除をするんです。ガラス窓一枚でもきれいにすると、それ以上落ち込まないってことを発見しました。今でも落ち込むと掃除します。一挙両得です。
小林 なあるほど! とっても素晴らしい。そして、5冊目は『合本を学ぶこと…ウェラー・ザン・ウェル患者学の世界観、宇宙観を学ぶ』。宇宙観ですか!
栗本 患者学そのものが、生きていると思うんです。半身浴をしながら合本を毎日読んでいると、いろいろ読み方が変わってきます。代表の書かれた言葉の行間から、気持ちが伝わってくる瞬間があるんですよ。
小林 6冊目は『心と身体の成果』。
栗本 成果を書いていると、記録として残るでしょ。そうすると、それが、もうひとりの私って感じに人格化するんだとつくづく思います。何か発見したり、何か楽しいことがあったら、すぐ誰かに話したいでしょ。でも、そんなに自分のことをいつも聞いてくれる人はいません。それでノートに書くんです。ノートは、なくてはならない私の腹心の友なんです。
小林 本当に素晴らしいです! ありがとうございました。
(会場拍手)
 
 『いのちの田圃(たんぼ)』175号より
posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 07:27| 治すガンバリ世界遺産

2016年07月08日

祝 世界遺産認定! 山本 修さん

♡山本修(おさむ)さん
【笑顔の指人形】


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 山本修(おさむ)さん
 2001年肺ガン。
 一切の治療は受けないと決意する。
 その頃、奥様が行かれていた
 自然食品店で、
 『幸せはガンがくれた』に出会い、
 その出版社に電話。ガン患研を知り、
 『いのちの田圃』創刊号とも出会う。
 約4年後に見事に自助(自然)退縮。


柳澤 山本さんは、玄米菜食、散歩、半身浴など身体を温める他に、心の持ち方を変えるのが大切だと思われたそうですが…。
山本 風邪ひきみたいなものであれば、身体の治療だけで十分なんですが、ガンのような、長い年月をかけて形成されるような病気は、その人の精神世界というのが非常に関わっていると思いました。
柳澤 具体的にどんなことをされましたか。
山本 心というのはつかみ所がないんですよね。けれども心の実質は言葉だと思うので、心を変えるというのは言葉をかえるということだと思うんですね。そして、健康的な言葉で自分の心をリードしていく。それが、私の場合は、心を変える最短距離だったような気がします。
柳澤 亡くなられたご両親の指人形を作られたそうですが、どんな思いでつくられたのですか。
山本 私の人生を振り返ったときに、親との関係がもっとも大切だと思ったんですね。石川啄木に「わが病のそのよるところ深く且つ遠きを思う」という歌がありますが、私も、どうしてガンになったのかと考えていくうちに、親との関係、これを解決しなければ、本当の治癒はないんじゃないかなって思いました。
柳澤 毎日、どんなふうに話しかけるのですか。
山本 日常の挨拶、こんにちは、おはようとか、今日はいいお天気ですねとか。あと、感謝の言葉、ありがとうございます、などですね。
柳澤 自分の心の問題、原因の原因にしっかり向き合われたのですね。【笑顔の指人形】は、山本さんの輝く笑顔の源。ありがとうございました。
(拍手)
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 『いのちの田圃(たんぼ)』174号より

posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 06:33| 治すガンバリ世界遺産