ガンを契機に、真に価値ある人生を創造する…ウェラー・ザン・ウェル患者学の確率を目指す大型連載
ウェラー・ザン・ ウェルへの道 第5回
栄養学の嘘と間違い
ーーーーー食事を改める A
川竹 文夫(ガンの患者学研究所代表)
〜『いのちの田圃(たんぼ)』6号より〜
『一日三十品目をとるのが正しい食事です。私は看護婦で、栄養学の知識もあります。川竹さんのお話は間違っています。玄米や野菜だけではバランスがとれないことは、はっきりしていて・・・』
ある講演会のアンケートに、こんな意見があった。
一時間半、熱弁を振るった結果がこの反応である。気持ちは一瞬なえそうになった。
が、よく見れば、欄外の余白には、次のような小さな文字が並んでいるではないか・・・。
『私はいま、乳ガンを再発していて、食生活も関係しているような気もします』
近代栄養学と玄米菜食。この二つの間で、彼女の心は、今日初めて揺れ始めているのだろう。
昭和三三年、『六つの基礎食品』が発表された。一群は米などのカロリー源。二群はタンパク質。そして三群はカルシウム・・・六つの群から、まんべんなく栄養をとろうというものである。
これは一見すると、バランスを考慮しているかに見え、しかしその実態は、ただひたすら大量の栄養をとろうというものであった。
強く大きなアメリカ人。ひ弱でチビの日本人。敗戦による自信喪失。盲目的なアメリカ信仰。
そこから出発した、日本の近代栄養学は、これをきっかけに、本格的に栄養至上主義への道を歩み始めるのである。
もっとカロリーを、もっと油を、もっともっとタンパク質を!
「米を食べると馬鹿になる」
こんな暴論を述べた本がベストセラーになった。
「一日一回フライパン運動」
ともかく油を食べよう、というキャンペーンが、大真面目に展開されたこともあった。
「タンパク質が足りないよ〜」
コミカルなテレビコマーシャルも大流行した。
そして・・・高度経済成長を経て、日本人の栄養は明らかに過剰になり、生活習慣病が激増した。
この傾向は、バブル経済によってさらに加速。その結果、六十歳以上と言われていたガン年令は、急速に低年令層にまで広がり、子供の皮膚病であったはずのアトピーは、今や、青年から、中年層にまで広がろうとしている。
何かが、どこかで、間違ってしまったのだ。前号に引き続き、その誤りを指摘しつつ、新たな道を探っていきたいと思う。
第T部 合成の誤謬(ごびゅう)
一つ一つをとってみれば正しい行為であるのに、それらが寄り集まると、結果として、大きな間違いや失敗につながってしまうことを、合成の誤謬という。現代栄養学には、まさに、この言葉が当てはまる。
何故か?
@栄養学は『栄養素学』
現代栄養学は、食品を栄養素としか見ていない。例えば・・・。
ストレス解消=カルシウム=牛乳
疲労回復=ビタミンB1=豚肉
という風に。これではまるで、薬やビタミン剤をとるのと同じ。が、食品には、常にいくつもの栄養素が含まれているので、当然、矛盾が起こってくる。例えば・・・。
◆先日ある医者が、肥満防止に毎日二個の卵を食べろとテレビで語っていた。卵に含まれているオボムコイドが、肥満を防ぐからだという。
また別な医者は、血管をやわらかくするために、毎日七十グラムの肉を食べろと勧めていた。
彼らの言うことを真面目に実行すれば、動物タンパク、脂肪、カロリーの取り過ぎになり、早晩、生活習慣病になるだろう。合成の誤謬の典型である。
A食べ過ぎになる
◆『一日三十品目』の推奨にも同じことが言える。これで食べ過ぎを避けるのは、至難の業。
私はよく、「七味唐辛子を七品目とでも数えるか」と冗談めかして言うが、半ば本気である。
◆カロリーやタンパク質や脂肪など、各栄養素の分量計算に大変な労力が必要になる。
あるテレビ番組で、栄養士が、有名料理人に理想的な栄養バランスのデータを示し、それを実際に作らせる企画があった。が、たいていは、何かが足りなかったり多過ぎたりした。毎日の食事で、一体誰が、こんな芸当が出来るだろう。
B矛盾に悩む
◆さまざまな病気や症状にあわせて、有効な栄養素を取り上げ、それを多く含む食材を紹介している本を最近よく目にする。
◆が、食材は合成物ではない。ビタミンEやカロチンなどという食材は、自然界には絶対存在しない。
都合のいい栄養素だけを抜き出して、食べることは出来ない以上、へたに勉強した人ほど迷ってしまうのだ。
◆タンパク質をとるために、卵を食べようと思っても、卵にはコレステロールがあって食べられない。
カルシウムをとるため、煮干しを食べようとする。が、魚の干物は、油が酸化しやすく、猛毒の過酸化脂質になることがある。
胃ガン予防に、カテキンの効果を期待して緑茶をがぶ飲みすれば、カフェインのとり過ぎになるだろう。
◆どうしても上記のような悩みが生じる。 栄養素 のみを追いかけて、食べ過ぎたり、何を食べていいのか分からなくなる病気を、「思いっきりテレビ症候群」と私は呼んでいる。これも合成の誤謬の典型。
第U部 牛乳信仰の愚かしさ
『栄養素学』になってしまった現代栄養学は、食べる人間の身体や生理、あるいは自然の摂理に反することを、平気で推奨することがある。
その結果、かえって健康を損ねてしまう。その典型を牛乳信仰に見ることが出来る。
@骨は丈夫にならない
◆牛乳を飲む人の多くは、カルシウムを期待している。牛乳のカルシウムは吸収が良いとも言う。
が、カルシウムが骨に沈着する(つまり丈夫になる)には、運動などによって、骨に負荷(重量などの負担や刺激)をかけることが条件。
◆かつて、宇宙飛行をした飛行士たちの骨密度が下がっていることが話題になった。無重力の宇宙空間では、骨に負荷がかからないからである。
◆また、太っている人が痩せている人よりも骨粗鬆症になりにくいのは、体重が負荷になっているから。
つまり、運動もしないでカルシウムをただ摂取しても、骨粗鬆症は防げないというわけである。
Aカルシウム脱解が起こる
◆骨粗鬆症は、アメリカや日本のように、肉や牛乳の消費量が多い国にこそ多い。これは紛れもない事実である。何故このような矛盾が起こるのか?
◆人間の血液は、弱アルカリ性の時がもっとも健康。が、肉や牛乳などは酸性にする。すると、それを中和するべく、骨からカルシウムを奪ってしまう。
これをカルシウム脱解(だっかい)というが、こうして血液中に脱解されたカルシウムイオンは、尿に交じって排泄され、腎臓結石や膀胱結石を引き起こしたりもする。
◆牛乳をとればとるほど、血液は酸性になり、カルシウムは奪われていくという皮肉な結果を招くのだ。
◆ちなみに、血液を酸性にする要因としては他に、糖分、過労、不眠、ストレスなどがある。
◆また、牛乳や肉の動物タンパクは、先月号で書いたとおり、脱アミノ作用によって、肝臓や腎臓を疲労させ、免疫を低下させる。
◆つまり、牛乳を飲むより、まず、動物タンパクを控え、血液を弱アルカリに保ち、運動で骨に負荷をかけることの方が、大切なのだ。
B健康を損なう
◆牛乳のタンパクは人間にとって異物(異種タンパク)。そのため、血液中に入って、アレルギーの原因になる。アトピー、喘息、膠原病、潰瘍性大腸炎などの増加の一因も、ここにあると言われている。
◆日本人の約七十五%は、乳糖不耐症。乳糖はラクターゼなどの酵素で分解され、腸で吸収される。
が、欧米人と違い、離乳期以降の日本人の多くは体質的にこの酵素がないため、飲んでも吸収されない。腹がごろごろしたり下痢気味になるのは、身体にとって有害なものを排泄しようとしている証拠。
◆それを健康のためだと信じて無理矢理飲めば、欧米人に比べて、生活習慣病を招く危険性は一層高まる。
◆約四百種類の哺乳動物のうち、他の動物の乳を飲むのは人間だけ。牛の乳は、あくまでも牛のためのもの。日本人に限らず、人間が飲むこと自体、自然の摂理に反するのだ。

戦前・戦中の人たちの心には、食べ物に不自由した時代の暗い記憶と、アメリカ型食事への憧れが頑固にこびりついている。
日本人が、十分に食べられなかった戦後の一時期、現代栄養学は、不足した栄養素を見つけて、補うことを使命としてきた。
しかし、いいと思われる栄養素を、ただひたすらプラスしていくばかりの思考法は、栄養過剰を生み出し、生活習慣病やさまざまな病気の増加に手を貸すという皮肉な結果を招いてしまった。
肉や牛乳によって、動物タンパクや脂肪をやみくもに取り込むアメリカ型の食事は、その典型である。
また一方、若い世代の間には、『スナック菓子+野菜ジュース+ビタミン剤』をいい夕食と思うような深刻な混乱も引き起こしている。
今、私の手元に一冊の小さな本がある。まったくの一般書であるにもかかわらず、百五十種類以上もの食品が紹介されており、それぞれについて何種類もの 身体にいい 栄養素が推奨されている。
しかし、これらの栄養素をどのように組み合わせても、それは決して
食事 にはならない。
あれがいい、これがいい、こっちの方がもっといい、ついでにこれもと、混迷を深めるばかりだろう。
私たちが求めるものは、栄養素ではない。量ではなく質によって豊かな食事であり、食生活である。
そして、そこから導きだされる心身の健康である。
今こそ、何よりもまず、日本の風土と叡知がはぐくんできた、シンプルで豊かな食事『玄米菜食』を、もう一度、発見しなおさなければならない。
ありがたいことに、それはそのまま、人本来の食事でもあるのだ
