2016年12月23日

責任を取れば 未来が開ける


ウェラー・ザン・ ウェルへの道
責任を取れば、未来が開ける
川竹 文夫(NPO法人ガンの患者学研究所代表)


ガンを契機に、真に価値ある人生を創造する・・・ウェラー・ザン・ウェル患者学の確立を目指す大型連載。
〜月刊『いのちの田圃(たんぼ)』第3号より〜

「どうしても、自分に原因なんか思いあたらんのですけどね・・・責任を取れと言われても」
 憤懣やる方ないといった様子で、初老の男性が、語りかけてきたことがある。
 自分は決して悪くない  ガンになったのは、何か運の悪い偶然
 ガンになって間もない人たちは、こう考えがちである。いやしばしば、こう思いたがる。
 ましてや、責任を取れなどと言われては、傷口に塩をすり込まれているような気にもなるのだろう。
 だが、完全治癒を望むなら、責任を取ることは、絶対に避けて通れない。しかも、最初は辛くとも、いったん『自分の責任』を認めてしまうと、不思議なほど、すべてが良いほうに向かって進み始める。
 治療がうまくゆくことはもちろん、やがては、ガンになったことを感謝するほどまで、心身共に健康で幸せになることが出来るのである。
 何故か・・・。
 まずは、私自身の経験から、その秘密を解き明かしてみよう。

誰が石ころを投げたのか

 今でも、ありありと思い浮かべることが出来る・・・ガンだと知らされたあの瞬間、私の脳裏には、次のようなイメージが、不気味なほど鮮明に浮かんできた。

 快晴の休日。私は、下駄をつっかけ、上機嫌で土手道を散歩している。川面を渡ってくる緑の風は、自然に鼻歌の一つも誘うほど心地よい。
 が、そのときである。
 突然どこからともなく、握りこぶしほどもある石が私の頭を直撃し、見る見る吹き出した血は、顔を伝って、乾いた土に落ちてゆく。
 一体、何が起こったのか? 私は何故、こんな目にあわねばならないのか! 原因は・・・まったく見当もつかない。これは何かの、間の悪い偶然に違いない。きっと、そうだ。それにしても、一体誰が、この石を投げたのか? 

 このときの私にとって、ガンという病気は どこからともなく  何の理由もなく そして ある日突然 襲いかかってくる、原因不明のアクシデント、正体不明の怪物のようなものであったのである。
 しかし、日がたつにつれ、私は次のように考え始めていた。
 もしそうなら・・・ガン発病が原因不明の出来事だとしたら・・・気まぐれに襲いかかってくる偶然の出来事であるなら・・・私には、まったく防ぎようがない。
 そいつは、不意に、もう一度やってくるかもしれない。つまり再発である。しかし、運悪くそうなったとしても、そのときも私には、何もできないだろう。何しろ、それは原因不明、偶然の出来事なのだから。
 しかも、主治医は言った。
 「ガンの原因は分からない。だから、再発を防ぐ方法も・・・」
 私は人知れず、恐怖に震えた。
 自分の力のまったく及ばない対象が、無性に恐かったのである。
 が、ふとしたことから、私は徐々に『自分の責任』を認め始めた。

今までの生活でいいなら何故?

 手術の傷も癒え始めたある日、主治医は誇らしげに私に言った。
 「川竹さんの場合、腎臓そっくり取っちゃったから、もうガンはないし、だから体力さえ回復したら、元どおりの生活に戻れますよ」
 当時私は、三人の医師に相談をしていたが、全員がまるで判で捺したように同じ言葉を繰り返し、温かく励ましてくれた。
 これでまた、仕事もバリバリ出来る。酒だって、無茶な飲み方さえしなければ・・・こんなにありがたく、嬉しい言葉はなかった・・・しばらくの間は。
 しかし、いつのころからか、私は次第に医師たちのその言葉に疑問を感じ始めていた。
 本当に、今までどおりの生活に戻っていいのなら、つまり、今までの生活で良かったのなら、では、私は何故、ガンになったのだろう。
 ものごとはすべて因果関係で成り立っている。必ずなんらかの 原因 があり、それに見合った特定の 結果 が生まれる。つまり、ガンという 結果 が生じるには、それなりの 原因 があるはずなのだ。
広島や長崎で被爆した方たちがガンになった場合、それは原爆の放射線が原因と考えられるだろう。
 チェルノブイリ周辺住民にガンが多発するのは、原発事故による被曝が原因。戦場で大量の毒ガスを浴び、ガンになった兵士たちもいる。
 彼らのガンの原因は、ある日突然
 外 から、全く理不尽に、もたらされた。
 では、私の場合はどうか。
 原因は明らかに 内 に求めるしかない。つまり私自身が、自分でガンの原因を作ったと考えるしかなかったのである。
 ガンは、ある日突然、何の理由もなく飛んできた石ころのようなものではない。 不運な偶然 などでは、決してない。
 それは、 私の何か が、 必然的に 作り出したものなのだ。
 石ころを投げたのは、他ならぬ、この私自身だったのではないか。
 無理にも、そう考えてみたのである。すると、『責任を取ること』には、当初は予想もしなかったさまざまな利点があることが明らかになってきたのである。

利点@ 恐怖心が薄れる
 
◆自分の 何か が原因でガンになったのなら、それを改めれば、ガンは治る。つまり、自分で作ったものなら、自分で治すことが出来る。
 発病という、間違った場所に迷いこんでしまったのなら、今度は、来た道を逆にたどっていけば、もとの場所に戻ることくらいは必ず出来る。それが、 治癒 である。
 そう考えれば、ガンをむやみに恐怖する必要は、どこにもないことに気づく。
◆ガン患者は、ガンそのものと戦う以上に、ガンの暗い恐怖のイメージと戦わねばならない。精神神経免疫学から見て、とても不利な状況である。だから、何はさておいても、この恐怖感をやわらげることが治癒への第一歩。責任を取れば、この第一関門を突破出来るのだ。

利点A 具体的対策が立てられる

◆私は、ガンの原因を大きく三つに整理してみた。それが、患者という一個の存在を氷山に模した『ガンの原因と結果の図』である。この図をメモ用紙に描き終えたとき、私は大きな安心感と希望を持った。ともかく海面から下を、一つ一つ、改めていきさえすれば大丈夫。そう思った。
 ライフスタイル・・・最低週に一日は休む。定期的な運動(私の場合は、バドミントンと筋力トレーニング)をする。十時就寝、五時起床。
 食事・・・肉食中心から、玄米菜食への一大転換。肉はもちろん、卵、牛乳、乳製品の一切を止めた。
 心・・・人の期待に応えるのを止めた。自らに課したハードルを低く設定しなおした。いざとなれば、すべてを投げ出す覚悟を決めた。瞑想、気功、イメージ療法をやる。
 最初は、この程度の大雑把なものであったと思う。が、これでも、やるべきことを具体的に把握出来て、闘志がわいてきた。

ガンの原因と結果の図.jpg













利点B 自分を上手にいたわれる

◆ガンになる人の多くは頑張りすぎ。心にも体にも無理を重ねる癖がついている。私もそうであったが、ガンと知ったとき「ああ、これで休むことが出来る」とほっとする人が多い。これは、「休め」というガンからのメッセージである。原因を知り、責任を取ることで、ガンを水戸黄門の印篭のように上手に利用し、しばらくは、自分を思い切り甘やかしてやるのもいい。

利点C ストレス対処が上達

◆「間違ったライフスタイルや食事を選んだのは自分。でもストレスは避けようがない。それも自分に責任があるのか?」
 こういう質問をしばしば受ける。が、やはり、責任は自分にある。
 次頁の『ストレスの図』を見てほしい。通常、何かいやなこと、不快なことがあれば、それがそのままストレスになると思いがちだ。
 が、事実は違う。何故なら人間には、解釈するという能力がある。起こった出来事に、独自の解釈を加え、新しい意味を発見することが出来る。すると、いやな出来事も、喜びや希望にさえつながる。
 勤め先の倒産やクビ、離婚などは、大事件に違いない。だが、自分の能力を試す絶好のチャンス、新しい人生の始まりととらえれば、却って喜ばしいことかもしれない。ストレスと感じるのも、希望を見いだすのも、その人次第なのだ。
 現代社会では、ストレスを避けることは不可能。とすれば、自らに責任を取り、この技術を身につけるしかないだろう。

ストレス対処の図.jpg












利点D 再発防止の自信がつく

◆原因を取り除く治療は、そのまま再発予防につながる。患者さんの多くが、再発防止に何をやればいいのか知らない。三大療法の医者は、逆効果になる抗ガン剤しか知らない。
 だから患者はいつも再発を恐れていながら、何の手も講じようとしない。甚だしきは、肺ガン患者が喫煙を続けていたりする。
◆だが、責任を取る人は、一歩一歩、着実に前進し、再発防止への自信は次第に高まっていく。そのことがまた、氷山の海面下を一層徹底的に改めようとの意欲につながり・・・体と心がそれに応え・・・理想的な循環が起こる。治療は予防、予防は最良の治療。そうなれば、しめたものである。

利点E 医者任せから脱却出来る

◆自分で責任を取れるということは、自分の運命を自分でコントロール出来るということ。
◆多くの患者は、ガンともなれば、自らの力では何も出来ないと思い込んでいる。そのことが自尊心の傷つきと、自信喪失を生み、その無力感がまた、免疫を下げるという結果を招きやすい。
◆責任を取る前の私はいつも「先生よろしくお願いいたします」と、弱々しくつぶやくしか能がなかった。この言葉の裏には、「先生だけが頼りです」という意味が隠れていた。
 昨日まで、名前も顔も知らなかった人物に、たかだか数センチのイボのようなものが出来たとたん、生命をあずけてしまったのは、何とも情けなかった。責任を取れば、そんな無力感から脱することが出来る。
◆『ガンの原因と結果の図』をもう一度見てほしい。原因の部分に、『患者の領域』と私は書いた。原因を取り除く作業は、医者ではなく、患者にしか出来ない。つまり、ガンを本当の意味で治せるのは、患者自身でしかないからである。

利点F まさかの時、対応出来る

◆「再発したら、〇〇先生にまた切ってもらう。それで駄目なら、ホスピスで痛みを止めてもらって」
 この人は、ガンは医者にしか治せないと思い込んでいる。だから医者から見放されることは、即、諦めに通じてしまう。
◆だが、責任を取ってきた人であれば、仮に、医者から見放されたとしても、自分で治す知恵と勇気、そして何よりも具体的な行動力を備えているはずだ。自然退縮の多くは、そうした人たちに起こっている。

利点G 創造的な治療が出来る


◆「頑張って治します」と宣言しても、三大療法では、多くの場合、患者はただベッドの上で苦しい治療にじっと耐えるだけ。受け身の存在。
◆だが、責任を取り、自らの力で原因を一つ一つ取り除いてゆく作業は、新しい価値観と新しい人生を築き上げるという、実に創造的な営みなのである。
 耐えるだけの治療から、創造する治療への一大転換。明るい未来は、ここから開けてくる。

利点H 健康のステップアップ
 健康でなければ病気。病気でなければ健康。両者は、互いにつながりのないまったくの別世界であり、病む人たちは、「もとの健康な状態に戻りたい」と願っている。それが一般的な健康観である。
◆だが、上の『健康のハシゴの図』を見てほしい。ここでは、健康も病気も同じ一つのつながった世界として、とらえられている。健康にはいくつものレベルがあり、ハシゴ段の最も下の段、つまり健康度のもっとも低い状態が病気だと考えるのである。
 これは、東洋に古くから伝わる健康観である。
 そして人は、その人生において、常に、この健康のハシゴをのぼったり降りたりしている。
◆さてこの図に、一般的な健康観を当てはめてみるとどうなるか。
 例えば私の場合。ガンになった時点で最下段にいたが、とりあえず手術によってガンを取り除き治療は終わった。その後、退院後は徐々に体力を回復し、やがて元の健康な状態に戻ったわけである。
 しかし、それは決して、ハシゴ段の上の方ではない。せいぜいが、下から二段目のレベルなのである。
 何故か・・・。三大療法によってガンは取り除いても、原因にはまったく手をつけていないからである。◆その段の『未病』という文字に注目してほしい。これは、今は未だ明確な病気はないが、いくつもの不調を抱え、いつ本格的な病気になっても不思議でない状態を指す。
 ひどい肩凝りや頭痛。常習的な下痢や便秘。冷え性。動悸、息切れ、めまい。高血圧。高血糖・・・。
 中高年のほとんどがこの内のいくつかの不調を抱えているだろう。
 高血糖を除き、これはまさしく、私がガンになる以前の状態である。 つまり十年前の私は、とりあえず元の、きわめて健康のレベルの低い状態に戻っただけであった。
◆しかし今の私は、間違いなく、数段上のレベルにいる。快食、快眠、快便。筋力も、スタミナも、成人後では最高だと確信している。
 ガンの原因は、自分の誤った生活習慣にある。その一つ一つを、気長に取り除いていった結果である。
◆末期ガンになりながらも、私などより、さらに数段上のレベルの人たちがいる。絶望の深さに反比例するかのような、彼らの跳躍力を見るとき、『責任を取る』ことの素晴らしさを、強く確信するのである。

健康のハシゴの図.jpg










 ガンは自分で作ったもの。まず、その事実を素直に受け入れよう。
 ガンになったのは、ついていなかったからではない。運が悪かったからでもない。もちろん何かの偶然でもない。すべて必然。私はいつもこう繰り返す。
 自分を誤魔化して逃げるのは止めよう。少しでも早く適切な対策を立て、一日も早く、完全治癒を手に入れる・・・責任を取るのは、その第一歩なのだ。
 人は、たとえどんな絶望的な状況からでも、自分を好ましく変えていくことが出来る。
 責任を取ることを決意し、すぐさま行動を起こすなら、あなたは運命と人生を、再び自分の手に取り戻すことが出来るだろう。そしてその先には、ウェラー・ザン・ウェルへの道が、真っすぐに開かれてくるのである。

posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 05:40| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』