【愛のタオルしぼり器ぎゅっと♡君】


和田隆彦さん
2006年前立腺ガン。
手術を断る。
毎朝、腹式呼吸をするときに、
一年後の経営計画発表会で
「全社員へガン完治の体験発表している自分」
を想念し続けて、約1年後に自助(自然)退縮。


松本宗太さん
2011年肺ガンUB、手術。
社長の和田さんの勧めで手術前から
玄米菜食を始め、退院後は奥さんの
献身的なサポートで半身浴、
全身生姜罨法などの自助療法に取組み、
健康を回復。
柳澤 ガンを自助退縮されて、奥様ともラブラブ、幸せいっぱい、充実した生活で、私たちの憧れの太陽さん(『いのちの太陽たち』に登場した〈治ったさん〉)でいらっしゃる和田さん。ある日、部下の松本さんが相談にいらしたそうですね。
和田 コツコツと私の部屋のドアをノックして、入ってきましてね、私ガンを宣告されました。2カ月後に手術しますって言うんです。
松本 経営者であり、ガンを治した先輩である社長の和田に相談に行ったわけです。
柳澤 どんなアドバイスされたんですか。
和田 とにかくガンは絶対治るからなって言ったんですよ。そしたら、彼は、薄笑いを浮かべながら、「ここまで生きたんだからもういいです」って言うんですよ。会社の部下として、彼とは30数年一緒に歩んできた仲間です。絶対なんとか治ってほしかった。「愛する奥さんも、かわいい息子もいるだろう」と、励ましましてね。日頃、ガンを治した私の体験を話しているので、説明はくどくど言わない方がいいと、とにかく行動を促した。手術までの2カ月は大事だから、徹底的に食事を変えて、治癒力を高めるようにと言いました。そして、すぐに私の使っている圧力鍋と同じものを彼に贈りました。
松本 そこまで社長にしていただいて、やるっきゃない。妻に食事を変えるからと言って作ってもらったけど正直、おいしくない(笑)。それに100回噛めと言いますね。それまで私は食事に対して全く無頓着。ほとんど噛んでない、のどごしで、飲み物に近い(笑)。そんな食事がガンを作ったんですけど、当時は体重が73キロありました。それが玄米菜食であっというまに62キロです。
柳澤 食事の他には何を勧められたのですか。
松本 手当てをしっかりやれよって言われて、半身浴、呼吸法、それに全身生姜罨法をやりました。
私は術後一カ月間、力仕事をするなと言われていたので妻にやってもらったんですが、妻は三日目で力尽き、3枚目になるとちゃんとしぼれないので、「熱いっ」。まるで熱湯をかけられたよう(笑)。
柳澤 罨法用のタオルって、絞り方が足りないと熱いんですよね。それにすぐ冷める…。
松本 そうなんですよね。私が絞ってみたらとんでもなく力がいる。
手当ての先生に「力じゃないよ」としかられるかもしれないけど、初心者にはたいへんな作業だと分かって、文句を言えなくなったんです。それに、このたいへんなことをやってもらうというのは心苦しいんですね。だから「半身浴だけでいい」と言いましたら、普段は大人しい妻が「あんたは、横になってなさい」(笑)。
柳澤 奥様のお気持ち分かります!
松本 だけど、うしろめたくて気持ちよくないんですよ。気持ちよければ治るのも早いんだけど…、そう思いましてね。
柳澤 それで、和田さんにある提案をされたとか。
松本 社長の先先代からの、ものづくりの会社ですから、「社長、やってもらうのが心苦しい。ましてや自分でやっている人はもっとたいへん。続けるためになんとかタオル絞りを作れませんか」と。でも、こんな商売にならないようなもの、通常なら即却下ですよね。
和田 その頃、私の気持ちに変化がありまして、社長は後継者にゆずり、なんとか世の中に役に立ちたいと思ってた。で、よし、やっちゃおうって(笑)。といっても、利益にならないようなものだから、社内でいい顔をされないので、自分の部屋を開発室にしました。
柳澤 開発にどのくらいかかったんですか?
和田 熱を使いますから、特殊な樹脂を用いるなど苦心し、2年半ぐらいでだいたい形になりました。全身生姜罨法にはタオルを11枚使いますね。時間を計ってみたら、2分30秒で全部絞れました。
小林 早い!
柳澤 製品の名前も決まったんですね。
和田 最初、「フレンドシップ」とか考えていたんですけど、しっくりこない。そしたら、川竹代表が「ぎゅっと♡君」と名付けてくださった。「ぎゅっと」と、「君」の間にハートマークが入るんです。
柳澤 松本さんの、奥様への愛がぎゅっと詰まった「タオル絞り器」。素晴らしい世界遺産です!
(会場拍手)
※「全身生姜罨法」とは、古来伝えられてきた民間療法を、ガン患者さん向けに開発したものの一つ。熱い生姜汁に浸したタオルを全身にあてて、血流をよくし、身体から老廃物を出すのに効果がある。


『いのちの田圃(たんぼ)』176号より