【奥様の強力なサポート】


阿部重夫さん
2002年10月 腎盂ガンV期
腎臓摘出手術と抗ガン剤を受けるも、
8カ月後に膀胱に転移。
以後再発を繰り返し、4年間に9回の手術と
4回の処置を受ける。
ガン患研に出会い、奥様の協力のもとに
自助療法を徹底。
2010年見事〈治ったさん〉に。
小林季代子 阿部さんは、前藤沢支部長。多くの〈これからさん〉に今も熱いメッセージを伝え続け、ガン患研のボランティア活動を積極的に行ってくださっています。
そんな阿部さんなんですが、最初のころは積極的に勉強されなかったようですね〜。
阿部重夫 全くその通りですね。(会場笑い)そんなに深刻に考えてなかったんです。
小林 どうしてですか。
阿部 最初に手術をして退院した時、病院の先生から「阿部さんはきれいに治ったよ。もう、普通にしていていいよ」と言われて、その通りに思ってのんきにしてたんです。でも、後から考えると先生は再発することが分かっていたし、家族にも話していたんですから、知らぬは患者ばかり(笑)。
小林 ご家族はやきもきされていたと思いますけど。
阿部 再発を繰り返しても、病気は病院に治してもらえると思って、まじめに通院してました。ところが数年経ってある時、先生から「これ以上治しようがない」とズバッと言われました。
小林 えっー!
阿部 それまでさんざん抗ガン剤をいただいて、放射線もいただいて(笑)。
小林 さんざんいただいたのに…。
阿部 これじゃなんとかしなきゃと、そこから、自分としても変わったんですが、一番大きかったのは、ガンの患者学研究所に出会ったこと。
小林 ああ、そうなんですねえ。
阿部 これが一番のヒット。そのガン患研に出会った大元になったのが、うちのかあちゃん。(会場笑)
小林 かあちゃんですね(笑)。
阿部 読売新聞でガン患研を紹介している記事を見て、『治るため』をひそかにもらった。そしてこれは今までのと違うと思って、それから、私の後押しというか、尻叩きが始まったわけ(笑)。
小林 最初、阿部さんは積極的に勉強しなかったので、『いのちの田圃』が送られてきても奥様が先に読み、封筒に戻して糊をして、そーっと置いておいたとか。
阿部 全く、知らぬは亭主ばかりで(笑)。
小林 それから、当時の支部長に奥様が手紙を書かれたんですよね。
阿部 支部例会にも最初はかあちゃんに連れられて行ってました。このままじゃ駄目だから、支部長さんからきちっと言ってくれって内容の手紙。で、あるとき例会が終わったら、支部長さんに次は一人で来てね、って言われました。
小林 奥様のサポート、まだまだあります。玄米と味噌汁と漬物だけの食事をご夫婦で続けられたとか。
阿部 2年間続けましたね。
小林 阿部さんがやるのは分かるけど、病気でもない奥様が同じものを2年も! すごいなあ!
阿部さんは海老名の患者学ワールドの治ったコールで、思わず叫んだんですよね。
阿部 壇上にあがって、大声で言いました。「かあちゃん、ありがとー」
小林・柳澤 じ〜んときます。
阿部 私は福島の出身ですから福島弁で言わせてもらいます。
小林 どうぞ!
阿部 かあちゃん、ありがとな〜〜し!!
(拍手)

『いのちの田圃(たんぼ)』172号より