ひたすら学んだ! 実践した! そして、つかんだ新しい人生!
〜鎌田進副代表と笑顔輝く〈治ったさん〉たち〜 その6
♪やるっきゃないの背水の陣!
鎌田 さて前回では、ガン患研に出会っていただいて、さっそく入会。そこからの歩みをお話いただきました。竹内さんと野中さんは、死にたくなかったから必死だったと強調されていましたね。
加藤 私は、タンカを切って病院と縁を切ったので、背水の陣でした。
鎌田 ほう、自信があったからですか。
加藤 というより、こんな医者どうしようもないって思ったんです。私の質問に全然答えられないんですから。
鎌田 自信以前の問題だったんですね。
加藤 医者には最初っから不信ばっかり。手術のあと、痛みがひどく、患部が肺でしたから、特に息を吸うのがたいへんで…。私、我慢強いというか、どの程度で「痛い」と言っていいか分からなくて、痛みどめももらわないで、手術後のいろんなリハビリを受けていました。退院する日、医者がそんなに痛いはずがないと言うんです。だけど、執刀医の話から骨にヒビが入っていることが分かったんですよ。
竹内 それはひどい。
加藤 57センチも切っているのでその傷口の痛みだとばかり思って、我慢してたのに…。ぶっつけ本番の手術だったんですが、左の中葉を全部とられたし、それから、腫瘍マーカーもどんどん上がっていったし…。それも、私が見つけたんです。
竹内 医者ではなくて?
加藤 コンピューター画面を見ていたら、赤い数値がどんどん上がっていくんです。これってなんですかって聞いたら、「腫瘍マーカーだよ」って。「私は手術前は正常値だったのに、手術して悪いところをとっちゃったのに、上がっていくものですか?」ってさらに聞いたら「あっ、たぶんこれは下がると思うけど、下がらなくても大丈夫だよ。飲む抗ガン剤があるからね」…。
そんな問題じゃないわけです、私の質問は…。そこでやり合ったら、私のことだから、「バカヤロー」ってなっちゃうから、ぐっと我慢して二度と行くまいと思って帰ったんです。
40年来親しく付き合っている近所の開業医に帰りに寄ったんですよ。そこは、総合病院を紹介してくれたところだったんですけど、5年間は病院に行ってほしいと言うの。それで仕方なく主治医を代えてもらって通院。ところが、1年ほどたってCTをとったときに、「左の肺のことを聞いていますか」って。最初っから、左に怪しい部分があったって言うんですよ。何も聞いてなかったからすっごく、びっくりしました。仲良しの開業医も何も聞いてないという。全く信じられなくって、次に病院に行ったとき、「検査もなにも、すべて拒否します」って宣言しました。
「30年医者やってるけど、始めて患者さんに投げかけられた言葉だ」って言うの。「私は普通の患者じゃない」って言って、あらいざらいぶっちゃけて話したんです。
「先生、自分か家族がガンになったら、抗ガン剤しますか?」って尋ねると「やりません」って、そんな答え。「検査も一切受けない」と言うと「じゃ、胸の音だけでも聞かせてください」と言うから、「それで先生分かるんですか」と聞いたら「分からない」って。
もうあきれてしまって、『治るため』を先生にあげて、それから一切行かなくなった。たぶん、死んだと思ってるのじゃないかな(笑)。
鎌田 気持ちのいいタンカを切った訳ですね。
加藤 知り合いの医者に、私のようなのは一番イヤな患者だから、行かなくなったら万々歳してるよって言われました(笑)。
鎌田 どうやって医者といい関係を維持しようかと悩む人が多いんですよ。検査だけは受けたいからって…。
加藤 私、医者には死亡届だけ出してもらえたらいいんです(笑)。
鎌田 地道な治す行動の積み重ねが下支えになって、自信ができて、という方が多いけど、加藤さんの場合は、違ったわけですね。
加藤 そうなんです。だから、やるっきゃなかったんです。
小林 私もやるっきゃなかったですね。「心の免疫セミナー」を受講して、どういうふうに実践したらいいのかある程度道筋がつかめたんですが怖かったですよ。とにかく3、5センチの取り残しのガンがあるのでやるしかないと思って頑張りました。今から思うと崖っぷちに立たされたから、すごい力が出たんじゃないのかな。とにかくひたむきにコツコツとやるしかなかったです。
鎌田 お二人とも、まず決断ありきで、突き進んだのですね。
(2015年6月、横浜市内にて収録)
『いのちの田圃(たんぼ)』175号、177号より
『いのちの田圃(たんぼ)』175号、177号より
