2022年06月27日

どうして私がガンに? 

  
  〈治ったさん〉座談会
 絶対生きる!
 自分に向き合い、自助療法を
 やり抜き通して掴んだ幸せ!
 
  …その4

…6人の〈治ったさん〉たちに突然つきつけられたガンの診断。
そして治療が始まり、それぞれの形で自助療法に舵をきる…。
さて、6人は、自らのガンの原因をどのように捉えていったのでしょうか。


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どうして
私がガンに?
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中島さん:神経質で真面目で、納得するまでやるというところがあるので、それがガンの原因かなと思います。それに心の問題がやっぱり一番大きなウエイトを占めていて、自分の思い通りにいかないという不満や苛立ちを、私は食事の方に逃げていたと思います。野菜よりも肉料理、またアルコールやタバコとかよくない食事を長いこと続けていたために発病したのかなと。

市川さん:原因はやっぱり、性格的なところがあると思う。子供の頃から波風たてるのが苦手で、とにかく自分の本音を言わない、ふたをする。だれかの意見にハイハイと言った方が楽だとそういうふうにずっとやってきたんです。

近藤さん:私も相手の要求に応えようとする気の優しさ、というか気の弱さから、自分を押し殺していたところが一番の原因かと思います。

太田さん:原因はいろいろ考えられるけど、やはり、人間関係が一番大きいかな。会社を経営していたので、いつも上に立っていなければならない立場だったし、得意先との関係とか、外注さん、下請けさんとの関係とかいろいろ人間関係で気を遣うことが多かった。自分はひとり取り残された孤独感がどっかにあって、みんなと一緒にはなれない。一緒になって仲間みたいな感じで、もっと和気あいあいとやれたらいいんですけど、仕事上なのでとか、公のことなのでとか、そういう線を自分でひいていた。どこか心寂しく孤独だったかな。

平山さん:自分でもいやなんですけど優等生タイプというか、期待に応えなければいけない、自分でこうしたいと思ったら、そうしなければ気がすまないというところがあり、自分をどんどん追い詰めていったのかな。やるべきことをきちんとできない自分が許せない、そういうところが原因だったのかなと思いますね。

牛尾さん:忘れもしません、心の免疫セミナーでのことです。代表に、「思い当たる問題は、私には一切ありません」と言っちゃったんですよ。それは自分が直面していることから逃げているセリフだと言われまして、結構ガツンときて、それからずっと自分に問いかけ続けました。
これが原因かなと気づいたのはそれから2〜3年経ってから。小学1年から大学までクラス委員をやっていて、自分は優等生でなくてはいけないという意識がすごく強かった。いい人と認められたい、常に優秀だと言われたい、人に負けたくない。競い合って、比べ合って、戦い合って、のし上がるんだというような。そして親を泣かせてはいけないと、反抗したこともない、いい子いい生徒、いいサラリーマンだった。原因はこれかなと思いました。
ところが、今から2年前のこと。キャリアコンサルタントの勉強を始めたときです。カウンセリングのロールプレイをするのですが、相手の言うことが全部、愚痴、泣き言、言い訳に聞こえてしまい、ぐずぐず言わずにやることをやれという気持ちになって、全くカウンセリングにならない。
 私、結構悩んで気づいたのですが、私が私自身にそういうふうに言い聞かせて、60年間生きてきたんだ。自分は弱いところがあるんだよというのを認めない生き方をしていたなって。心の免疫セミナーを受けて5年後、ネガティブな面もあって、初めて一人の人間なんだなということにようやく気づき、今は何があってもいい悪いのジャッジはしないという心ぐせがついてきました。


    (つづく)

posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 16:14| 日記

2022年06月25日

「手術したら、もう大丈夫?」

   集合写真.jpg
  〈治ったさん〉座談会

 絶対生きる!
 自分に向き合い、自助療法を
 やり抜き通して掴んだ幸せ! 


  …その3

  〜zoomを使ったオンライン座談会です〜


…6人の〈治ったさん〉たちに突然つきつけられたガンの診断。
そして治療が始まる…。
 命を守るために、それぞれがとった行動は?

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手術したら、
もう大丈夫?
それとも?
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近藤さん:告知の2週間後の8月には手術できるというので、その間も仕事は続け、夏休みと有給休暇をとって手術にのぞみました。「必ず再発しますよ」と言われたけれど、あきらめがつかなくて、情報収集を始め、インターネットで徹底的に調べていきました。

太田さん: 近藤さんがネットで徹底的に調べたというのをうかがいましたが、私は一切調べなかったんです。なんにも調べないで手術することに決めていった。なんか、あまりにも無知で人の言うまま…。あとでもっと慎重になれよって、すごく反省しました。
 ただ、ガンになる数カ月前に、〈治ったさん〉の奥様にめぐりあっていて、そのおかげでガン患研に入会。手術のあとの治療は一切受けていません。

牛尾さん: 近藤さんと同じように、私も徹底的にいろんな文献とか、ネットサーフィンで探していたところ、私の住む街の近くでガン患研の列島縦断講演会があることを知って参加。ガンを治された方がどんどん登壇されて、その姿をみて、入会しました。
そのときは数カ月後に手術が控えていたんですけど、摘出手術だけ受け、あとの治療は一切しないと決めて、自助療法を続けました。

近藤さん: 牛尾さんが言われたと同じ講演会が、私の住む仙台でもあって、座っていたら、声をかけてくれたのが、〈治ったさん〉の泉建治さんでした。「あなたは治りますよ」と言ってくださって、あっ、自分も治るんだって、非常に嬉しくて。治る希望をいただいた瞬間でした。
泉さんや、そのあと仙台支部でお会いした佐々木英雄さんは、ほんとにこの人ガンになった人なの? と思うぐらい血色がよかったので、それでよけい、私も治るって思えたんです。

中島さん: 私がガンになる前に家内の父親が前立腺ガンを患っていて、家内は食事や自然療法をかなり勉強していました。だけど、その勉強したことを父親にやってあげることなく、父親も、自分がガンであることを知らずに亡くなった。家内はそれを後悔していて、自分が勉強してきたことをやってみないかと私に勧めてくれたんです。病院には、延命治療しかないと言われていましたので、家内の勧め通り、生活習慣の改善と心の改善に取り組みました。

平山さん: 職場の健診でガンが分かったんですが、私もすぐに手術をお願いしました。幸い手術と同じころにガン患研を知ったので、手術後の抗ガン剤治療などは全部お断りして、ガン患研のやり方をいろいろ教えてもらいました。
市川さん: 私は病院で治してもらうということしか頭になく、温存手術と放射線30回、ホルモン剤を1年やって、副作用で両膝に疼痛が出てきました。そうなって初めて、ガン患研に出会い、自分でなんとかしなければという考え方に変わったんです。それから薬を断(た)って、いろんな自助療法を始めました。治るための勉強も一生懸命やりましたね。 

  (つづく)
posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 10:09| 座談会シリーズ

2022年06月21日

〈死〉が、頭から離れない…

〈治ったさん〉座談会
絶対生きる!
自分に向き合い、自助療法を
やり抜き通して掴んだ幸せ! 
…その2

前回は、6人の〈治ったさん〉の
プロフィールをご紹介しました。
さて今回は、ガンがわかったときの
お話です。
今はニコニコ笑顔の〈治ったさん〉ですが、
ガンと告げられたときはどうだったのでしょうか。

〈死〉が、
頭から離れない…


中島康夫さん:排尿時に異常があったんですが、病院に行くのが怖く
て…。だけど、状態がひどくなる一方で、決心して検査入院しました。
そして明日退院というときに医者に呼び出され、
「前立腺ガンW期、悪性度は9」と突然の告知でした。
退院する日の朝に聞くのだろうと、気持ちの準備をしていたのに、
不意うちをくらった感じ…。
心の準備ができていないせいもあって、アントニオ猪木から
頭をキックされたような…。明け方まで涙で寝られなかった。
十数年経っているけれど、いまだによく覚えています。
近藤利也さん:私は人間ドックで見つかりました。
先生に、2週間後にたまたま空いているからどうですか、
と言われて、とにかく手術してほしかったので、すぐにお願いしました。
見つかったのは46歳ぐらいのとき。
「若いんで、必ず再発しますよ」と言われたときは頭のなかが
すっかり真っ白になりました。
膀胱ガンは再発率は50%。もしかしたら自分は…と想像し、
これからガンによる死への恐怖が、延々続くんだろうな…。
死というのが頭から離れなかった。
共働きだったのですが、長期治療で自分が無給となったら
貯蓄もあまり多くないので住宅ローンの負担は大きく、
妻にも相当の苦労をかけるだろうな。
万が一、この世とオサラバした場合は退職金などもあるし、
住宅ローンは信用保険で負担がなくなるだろうから、
家族がなんとか生活していける分だけは残せてやれるかなとか、
そのころは、自分が死んだあとの家族の生活のことしか
考えられなかったような気がします。
牛尾敦史さん:私は1997年から歯肉が白いという症状が出ていまして、
ガンになる可能性があるということでずっと検査だけは
受けていました。
ガンになる1年前には、悪性になることはないから検査に
来なくていいと言われていた。それから8カ月ぐらい経って、
たまたま通っている歯医者さんで、また白いところが
広がっていますねと言われたんです。通っていた病院に行ったところ、
「あっ、ガンになっていますね」ということになってびっくりしました。
まったく自覚症状もないし、食事とか結構健康管理に
気をつけていて、自分がガンになるっていうのは考えられなかった。
こんな品行方正な男が、なんでガンになるんだろう…
実はそれが問題だったんですが…2、3日、悩みました。
私、30年前ぐらいから朝起き会という勉強会に入っていて、
その会ではよく「苦難福門」と教えられていて、
これが必ず「福門」につながるんだと、言い聞かせ、
精神的には安定した状態だったと思います。
太田和江さん:私は、ガンだと言われたときは、比較的冷静でした。
不摂生な生活をしていたので、当然だろうなという思いと、
私がガンになるわけがないという気持ちの両方がありましたね。
市川功子さん:会社の健康診断で見つかって、びっくりして精密検査を受けたら、
間違いなくガンだねと…。
今から思うと不思議ですが、自分がガンだと分かる半年前に
姉が膵臓ガンになって、すごく驚いたんですよ。でも、
変な自信があったのか、自分がなるとは全然考えていませんでした。
「T期だからね、再発の危険性も低いし、手術後はもとの生活に
もどっていいよ」って言われて、どこかほっとして…。
ああよかった、治るんだって思って、手術、放射線もホルモン剤も、
すべてやりました。
平山美樹さん:ガンが分かったときは、子供が9歳と6歳。
私も職場の健診で見つかったのですが、確定診断を受けるまでは、
自分がそんなことになっているなんて夢にも思わず、
ずっと楽観的だったけれど、あれ、なかなか検査から開放されないなと
思っているうちにどんどん進んでいっちゃって、最後に
「3・5センチのガンが、場所も真ん中にありますから、
あなたの場合は右側を全部とります」と言われたとき
はさすがにショックでした。
確定診断を受けた日は、子供の豆まきの行事がありまして
、その行事を見に行ったけれど立っていられない…。
ベンチみたいなところでへたり込んで見た気がします。
手術しても再発するんだろうなといった、ガンにつかまると
逃れられないみたいなイメージがすごくありました。
あともう2、3年かなって思って、周りの景色の色が
なくなったような、なんか違う世界にいるみたいな。
楽観していただけに、そのギャップに自分でも驚きました。

        (つづく)


posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 15:30| 座談会シリーズ

2022年06月19日

自分に向き合い、自助療法をやり抜き通して掴んだ幸せ!

ガン患研の会報誌『いのちの田圃』の
人気シリーズ「〈治ったさん〉座談会」

今回は258号に掲載された記事です。

〈治ったさん〉たちが、どのようにして
健康を取り戻すことができたのか…。そして
とりわけ、生きがいでもあり、生活を支える仕事
とどのように向き合ったのか…それが、
大きなテーマです。

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「絶対生きる!
自分に向き合い、自助療法をやり抜き通して掴んだ幸せ!」


思いがけずガンの診断を受けて、命の危機に直面!
絶対生き延びることを第一に、自分のガンの原因に向き合い、
生活習慣を改めるのはもちろん、心の持ち方のクセを
徹底して変えて、さまざまな困難を乗り越えてきた
6人の〈治ったさん〉たち。
なかでも仕事をどうするかはとりわけ大きな問題。
ガンの患者学研究所では、ガンを治すためには、
仕事から離れることが原則ですが、
さまざまな工夫と努力を惜しまず、
いのち最優先を貫いた6人の方々にお話を伺います。

6人の〈治ったさん〉たち


中島さん.jpg  中島康夫さん


2005年前立腺ガン末期。延命治療しかないと言われたが、奥さんと二人三脚で自助療法に励み、3年後にはMRIで異状なし。






近藤さん3.jpg  近藤利也さん



2009年膀胱ガンV期。手術するも必ず再発すると告げられ、必死に情報収集。ガン患研と出会い、凡事徹底を継続し〈治ったさん〉に。







市川さん3.jpg 市川功子さん


2008年乳ガンT期。温存手術と放射線30回、ホルモン剤1年。ガン患研に出会って薬を断ち、自分で治す道を選ぶ。ガン患研入会相談員のお一人。







太田さん4.jpg 太田和江さん


2013年S状結腸ガンV期B。すぐに手術をするが、〈治ったさん〉との出会いがあってガン患研に入会。その後の治療は全く受けず、自助療法を徹底。







平山さん2.png 平山美樹さん


2011年右乳ガンU期リンパ転移。職場の健診で分かり手術。同じ頃にガン患研を知り、抗ガン剤治療などを全て断る。いのちを守るために自分を変える努力を続ける。






牛尾さん2.jpg 牛尾敦史さん


2015年3月に歯肉ガンT期。5月に摘出手術。「T期で自覚症状が何もない人が一番危ない」という代表の言葉を胸に自助療法を徹底。昨年1月に〈治ったさん〉に。

(つづく)






posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 13:38| 座談会シリーズ

2022年06月18日

『いのちの田圃』6月号(258号)刊行しました!

 田圃258_表紙.jpg













『いのちの田圃』
偶数月の今月は、
〈Q&A版〉です。

執筆担当は、「スタートアップセミナー」
でお馴染み鎌田進講師。

「このQ&Aは、これまでに寄せられた会員さんからの
質問をピックアップして回答していくものです。
〈マスター〉と〈鎌田〉による対話形式で展開されます。
マスターとは、私の脳内に住んでいる架空の存在です。
基本的には私が質問者を擁護しつつ、ボケとツッコミを
繰り返し、マスターが回答していきます。
そう、これは私の思考回路の共有でもあるのですよ。
皆さんも、一緒に考えを深めてみてください」
      〜〜本文 リードより〜〜

◎鎌田進講師 プロフィール
  29歳で睾丸ガンを発病し、手術。
  8年後、英国留学中に再発。
  今度は自分で治すと決意し、
  自助療法で見事自助退縮。
  帰国後ガン患研の活動に参加。
  自らの体験と豊富な知識に基づいた
  熱い指導で信頼を得ている。

↓ 6月号 目次

 田圃258_目次.jpg










posted by NPO法人 ガンの患者学研究所 ガン患研 at 20:51| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』